問題は、「一橋大論述新研究86(14-Ⅲ 問題)」で確認してください。

 

解 説

 

問3

 

天皇機関説問題に「先だって起きた大学の学問自治が侵害された事件」(学問の自由に加えて大学の自治を否定する性格をもった思想弾圧事件)とは、滝川事件をさす。

 

1933年、京都帝国大学教授で自由主義的刑法学説を唱えていた滝川幸辰(ゆきとき)の『刑法読本』が発禁処分になると、斎藤実内閣の文相鳩山一郎はさらに滝川の罷免を要求した。

この措置に対して京大法学部教授会は一時強い抵抗を示したものの、最終的には滝川ら12人の教員が京大辞職を余儀なくされた。

 

問4

 

「日本の大学の歴史」をまとめよという問題。

やや難しい問題だが、ヒントとして4つの指定語句が設定されている。

 

森有礼帝国大学帝国大学令公布大学令単科大学高等教育の充実、という2点に必要な説明を施した答案がまとめられれば、合格ラインを突破することができただろう。

 

第二次世界大戦以前の「日本の大学」をめぐる基本的な推移は、次のようになる。

 

明治新政府は、近代化政策の一環として、教育分野を制度・内容の両面から常に重視した。

学校とは、近代国家に生きる国民としての基本的な観念や思想を人々に直接流しこむことを可能にする壮大な装置だったからである。

 

高等教育に関することでは、西南戦争が発生した1877年、旧幕府の開成所・医学所を起源とする諸校が統合されて東京大学が設立された。

明治中期にあたる1886年に文相森有礼のもとで公布された帝国大学令学校令のうちの1つ)により、東京大学は、唯一の帝国大学とされ、さらに1897年の京都帝国大学創設にともなって東京帝国大学と改称された。

 

以後、東北・九州・北海道の各帝国大学が順次設立され、やや遅れて京城帝国大学(朝鮮)・台北帝国大学(台湾)・大阪帝国大学・名古屋帝国大学も誕生して九帝国大学体制が整えられていく。

 

大正中期にあたる1918年、帝国大学以外に公立・私立大学、単科大学の設立を認める大学令が公布された。

従来は、官立の帝国大学だけが大学とされていたが、原敬内閣のもとで高等教育の充実が図られたのである。

 

1920年には、同令にもとづいて一橋大学の前身である東京商科大学も設置されている(東京高等商業学校から昇格)。

また、鉄道の拡充などと同様、この大学令は、政友会の支持基盤を充実・拡大する(利益誘導型の政治を展開する)のに適合的な面を有していた点にも注意しておきたい。

 

なお、第二次世界大戦後の占領期に学校教育法が制定され、国内の七帝国大学や東京商科大学など旧制大学(帝国大学令・大学令による大学)は、新制の国立大学へと再編された(その際に東京商科大学は一橋大学に改称)。

 

解 答

 

問3

1933年、自由主義的刑法学説を説く京大教授滝川幸辰の『刑法読本』が発禁処分になると、斎藤内閣の文相鳩山一郎はさらに滝川の罷免を求めて京大側と対立し、最終的には滝川ら多数の教員が京大辞職を余儀なくされた。

(100字)

 

問4

1877年に旧幕府の開成所・医学所を起源とする諸校が統合されて生まれた東京大学が、文相森有礼のもとで1886年に公布された帝国大学令により帝国大学とされた。以後、京都・東北などの帝大が設立され、1918年には高等教育の充実を図った原敬内閣が帝大以外に公立・私立・単科大学の設立を認める大学令を公布した。また、朝鮮と台湾にもそれぞれ京城帝大・台北帝大が設立された。

(175字)