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「昭和天皇7つの謎」(『歴史読本』、新人物往来社、2003年12月号)の⑦「天皇と軍部との関係はどのようなものだったのか? 統帥権独立と軍人勅諭(2)」です。

 

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統帥権独立と軍人勅諭(2)

 

明治憲法下の天皇は、国務・宮務・軍務の諸事項について国家の最高意思決定をおこなう際に、それぞれ内閣・宮中側近・軍部の責任者による補佐を受ける仕組みとなっていた。

国務大臣や内大臣による補佐は「輔弼(ほひつ)」と呼ばれ、参謀本部や海軍軍令部による補佐は「輔翼(ほよく)」と呼ばれた。

 

なかでも軍務については、軍部の補佐を受けるといっても、その内容によって補佐を受ける相手が異なっていた。

 

明治憲法の第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥(とうすい)ス」(統帥大権)に属する軍令事項(軍の作戦・用兵などに関すること)については、慣例上、天皇に直属する軍令機関(参謀本部・軍令部)が内閣などの介入を許さずに輔翼すること(統帥権の独立)になっており、第12条「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」(編制大権)に属する軍政事項(軍の予算・人事などに関すること)については、軍令機関との意思疎通を図りつつ内閣(陸軍省・海軍省)が輔弼するものとされていたのである。

 

このような特殊性をもつ統帥権独立の制度は、論理的には、天皇―軍部の関係を、天皇と他の諸政治機関の関係とは異なる、特別な地平に導くはずであった。

 

さらに天皇―軍人の関係も、天皇と他の臣民の関係とは異なる親密性を付与されていた。

 

1882(明治15)年1月4日の「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭(ちょくゆ)(軍人勅諭)は、「夫(それ)兵馬の大権は朕か統(す)ふる所」といい、「されは朕は汝等を股肱(ここう)と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ、其親(そのしたしみ)は特(こと)に深かるへき」と謳(うた)っている。

天皇―軍人の関係は、一身における肉体的な比喩(ひゆ)に譬(たと)えられるほど一体感をもつべきものだと考えられていた。