こんにちは。
今日も、安藤達朗先生を追悼した文章を掲載します。
「希求をやめない魂――安藤先生が教えてくれたこと――」(『駿台フォーラム』第20号、2002)の最後(「時代区分論と可能性」の部分)です。
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時代区分論と可能性
時代区分論から歴史の科学性・客観性を論じるのではなく、むしろ、時代区分論から歴史が客観的でも主観的でもないことを見通そうとしていた先生の「わざ」には感服するほかありません。
本当は先生のスリッパあたりには到達したいのですが、僕が先生の足もとにもおよばないのは、よく承知しています。
でも、残された者の責任をわずかばかりでもいいから果たしてみようと思います。
時代区分から歴史の非科学性を論じる視角として、次のような考え方もできそうです。
それは、人間の生活暦や生物学的特質それ自体にかなり忠実にしたがって、ある時代が回顧されるということがあるのではないか、という発想です。
たとえば吉野作造は、論文「わが国近代史における政治意識の発生」を書いて、明治人が「近代的」政治意識をもつことになった起源を探っています。
その起源は政府によって万国公法の観念が国民に流布された明治維新期、とされたのですが、吉野の論文が執筆されたのは1927(昭和2)年で、明治維新における戊辰の年から換算して60年目を迎えようとしている時期でした。
60年目の戊辰の年にあたる1928年には、その名のとおり60年前を振りかえった『戊辰物語』(東京日日新聞社社会部編)がまとめられ、維新期を題材にした島崎藤村の歴史小説『夜明け前』が翌29年に書かれたことも、蛇足ですが思いだしてみてください。
還暦を祝うのは人間界の慣習です。
歴史においてもまったく同様に、還暦を機に、「あのころ」が歴史の対象としてもてはやされるという事態がしばしば生じています。
そもそも歴史学は生物的な暦に忠実なものである、といったらいいすぎになるでしょうか。
観念でひとが動いたことはないと述べたのは、19世紀の哲学者ヘーゲルでした。
であるにもかかわらず、世界史における20世紀は、まさに観念で人間を動かそうとする実験が地球規模でなされた時代でした。
革命と戦争の世紀と形容されるのも、当然のことです。
ソ連における社会主義の壮大な実験が約70年でエンディングを迎えたのも、やはり象徴的なことだという気がします。
ソ連の存続期間が人間の生物学的寿命とほぼ同じだったからです。
人間の一生に相当する期間に世の中が良い方向に転換しなかったとき、ひとはその社会や制度にいっせいに背を向けるということを、僕たちは目の当たりにしたのだということになります。
安藤先生は、僕がこの場で述べたような、「そんな感じがするんです」といった類いのいい加減さを含む文章は一切書かれませんでした。
先生はあくまでも一貫して、「時代区分論」という折り目正しい方向から、歴史学の再生を心から願ってやまなかったのです。
安藤先生、先生の「希求をやめない魂」で、無数の教え子たちの心に火をともしつづけてください。
それはきっと、社会をプラスの方向へと変えていくための可能性の芽を成長させていくはずなのです。
安藤先生、先生の笑顔と学問に対する姿勢をいつまでも大切にします。
本当にありがとうございました。