病棟の中に西陽が射す
痴呆の老婆の誰かを呼ぶ声が
気化した麻酔薬の中に響く
ここは地上の楽園
一口飲んだポカリスエットが
ベッドの上で倒れる、音

陽射しがペットボトルの中に反射する
溢れた光が世界を充たす
白く濁った粒子の間を
黄金の光が乱す
水と油が混ざるように
太陽と電解質が一つになると
そこは地上の楽園
一口飲んだポカリスエットが
ベッドの上で倒れる、音
寝て起きれば
悲しい朝ではない
目を閉じて開ければ
痛みはない

悲しくはないのだから
痛くはないのだから

そういう日はそういう風に
過ごせばいい

また次の朝はその夜に
なんて

そういう風に過ごせばいい
「ゾウリムシはね」
脈絡もない、唐突な言葉だった。
「男も女もないの。一人で子孫を増やせるから。だからずっと昔から変わらない姿で生き残ってるわけだ。私達より賢いかもね。」
そこに寓意がある気がして、ぼくは黙ったままその言葉を考えた。
「でも…」
彼女の話はいつも唐突で、途切れたと思うと不意に繋がっていく。僕の思考はその度にかき乱された。そしてそれはなによりも心地よい感覚だった。
彼女は僕に顕微鏡を覗くよう促した。一瞬顔が近づいて、彼女の髪の、シャンプーではない、生き物らしい、いい臭いがした。
ゾウリムシは微かに震えるように動きまわり、微生物に感情移入するのも変なはなしだけど、心細そうだった。
「これ。たまに、こんな風に、不安そうな、落ち着かないふうになるの。それで別のゾウリムシに会うと、接合する。一つになるの。」
「なんで…?」
顕微鏡から顔を上げて尋ねた。一人で子孫を作れるなら、他のゾウリムシと接合する必要はないはずだった。
「遺伝子の多様性を得るためなんだろうけど。…それって、私たちの生殖本能のとはまったく別の感情よね…。」
そうして、彼女は光学顕微鏡を片目で覗きながら独り言のように、ぽつりぽつりと、一言づつ話した。
「だからね、結局身体が目当てだったのね、とか言う人もいるけど、…逆に形の無い…愛?のようなものを求める人もいるけど、どちらが本質かということになると、どちらでもないんだよ。だって交わることが先にあって、セックスも、愛も、二義的なものだから。所謂、エロスとか言うところのものは、性や愛よりも先にあるの。」
そこまで言ってから、彼女は自分の言葉に気づかされたような様子で続けた。
「…エロスはセックスだけじゃないんだよ。」
エロスとかセックスとか、年上の彼女が堂々と口にするから面食らってしまったけど、彼女はそういう人だし、おどおどするのも子供っぽいと思って僕はすまして聞いていた。