いま、死というものを考えていた。

死ぬことを考えるとき
僕達は自分の死を経験することはできないから
常に他人の死を通してそれを考えるしかない。
僕達は死ぬと死者になる。
生き残った人達の中で死者になる。
だからお葬式とか、お盆とかは
実は、生き残った人達の中で死んだ人達を死者として受け入れるための装置。
僕達は死を考えるとき
生き残った人達の心にどんな風に残るのかを考えなければいけない。
生きることがゆっくりと死ぬことであるとすれば
僕達は死んだ後にどんな風に記憶されていくのかを
常に考えて生きなければいけない。


これは真理かもしれない。
気持ちいい程にすっきりした説明で
まったく答えと言っても差し支えないくらいに思える。

でも、こういう真理や答えの中に詩は無い。
僕の人生はこういう真理や答えが初めから示されていて
その絶対的な力から逃れて
本当にこの真理や答えは正しいのかと模索することの連続だった。
しかしたとえ僕や貴方や世界中の人がそれを認めなかったとしても
真理や答えはただ截然としてあり続ける。
それに対峙するために唯一手にできる武器が詩であるのかもしれないと考えながら、いま眠りに落ちる。
あるいは眠りに落ちるその瞬間のように、思いもかけない所に本当の死が、詞が、あるのかもしれない。


いま、詞というものを考えていた。