昨日、孫をつれて
ロバート・サブダ
の展覧会に行って来た。
私が子供の頃は「飛び出す絵本」なんていわれていて、現在は「しかけ絵本」というらしいのだが、装丁・仕掛けなど、私が子供のころに持っていたものにくらべて、だいぶ複雑だし、豪華になっている。
で、展覧会の方は、「オズの魔法使い」「不思議の国のアリス」という古典以外にサブダ本人のオリジナルである「クリスマスの12日」という作品が、ページ毎に巨大化して展示してあり、スイッチを押すと、閉じてある状態から開き、また閉じるという動作をするというもので、これがなかなかの大迫力。そのほかにも古いしかけ絵本の展示もあって、アンディ・ウォーホルのしかけ絵本なんかがちょっと興味深かった。
展示室を、孫を抱え、ひとつひとつ、ゆっくり見て回っていたのだが、いくつかの作品の前で、明らかに反応が違い、次に進もうとしてもその作品を目で追っているという場所があって、一通り見終わったあと、もう一度順路を戻って歩いてもやはり同じ場所で立ち止まることになる。特に色彩や動きが派手というわけではないのだが、この子なりになにか惹かれる部分があるのだろうなぁと、抱えている腕が痺れて(笑)限界になるまで、グルグルと巡っていた。
へとへとになって、展示室をでると、絵本売場になっていて、これは商売上手だと思いつつ、でもその上手にひっかかり、孫が反応した「オズの魔法使い」と「クリスマスの12日」を”高価だけど、お年玉だから”と納得して購入した。
で、帰宅後早速、孫を膝に乗せてこの絵本を開いたわけなのだけれど、やはり展示室と同じページにくると手足をバタバタさせている。2冊の本を交互に何度かめくっていたら、その内に「アーアーウーウー」と声を出すようになった。
こういうクリエイティヴな作品というのは、右脳が圧倒的に優勢な赤ん坊に見せるときっと感じるものがあるのだろうと思う。コトバという記号の意味なんかもちろんわからないし、そもそも「本」とか「絵」とかいう概念と、自分自身の境界も曖昧なこのころの赤ん坊の中では、感じることすべてが想像につながっているのかもしれない。きっと、「アーアーウーウー」という声の中には、彼女が想像したストーリーが展開されているのだと思ったら、ちいさいうちにいろいろなものを見せ、感じさせて、それを受け入れられる体質をつくる事って、すごく大切なことだと気がついた。
よく「子供にそんな高いものを与えたってもったいない」という事を言う人もいるし、実際、私の親なんかもそういうタイプなのだけど、そりゃケタ外れに高額なものは、一般消費者として論外であるとしても、このあたりが「芸術を金額で評価することの無意味さ」なのかな?とも思う。
孫のそういう姿をみると「自分の財布と折り合いがつく」範囲の芸術作品なら、すくなくとも「もったいない」ということはないのだろうな、と思ったり。
そんなことより、今日は朝から筋肉痛で、手が震えて、キーボードを叩くのにも難儀している。
生後5.5ヶ月で9.5キロってのは規格外なんじゃないの?(爆)
