福岡男児殺害事件 母親逮捕、警察は身近な人から捜査
 福岡市西区にある小戸公園の公衆トイレで18日、小学校1年生の男児(6)が首を絞められて殺害されてい..........≪続きを読む≫



日曜の夜、妻と共に孫を風呂に入れながら、この事件について話をしていた。


「なんかすごく不自然じゃネェ?」


「謎が多いね」


なんて。



結果的に母親が子供を殺したという話だったようで。

それも首を絞めたんだそうで。


そりゃ、この母親にも想いはいろいろにあっただろうし、追いつめられてもいたかもしれない。

その心理ってのはボクらに理解することは無理だろうとも思う。

でもあえて言いたい。


自分の手で我が子の首を絞めるって事がなぜできるのか?


殺したくて殺すわけじゃないとして、そんなことは当たり前のことなのである。


例えばどんなに親を困らせるにしても、たとえば何らかの苦痛を感じていてそれを見かねてということであったとしても、その子はきっと親に笑いかけたことがあるはずなのだ。

そんな顔を思い浮かべたらいかに混乱していたって絞めめ切れないのではないか?

小学校に入ったばかりくらいで、まだ幼い子供である。

それをしてしまうほど追い込まれる事ってあるのか?


誤解を覚悟でいえば、

捨てちゃえばいいじゃん。

養育を放棄すればいいじゃん。

この国で、生きて保護された子供がほったらかしにされて死んでしまうと言う可能性は低いのだ。

養育を放棄することは罪である。

それをすれば罰されるのである。

でも、子供は生きていけるのだ。

少なくとも不条理な死を強要されることはないのだ。


たとえば無差別殺人。

これはテロルである。

加害者には被害者の顔なんか見えていない。

被害者に対する想いなんてのは、逮捕されたあとの言い訳でしかない。

我が子を殺すって事は、同じ不条理な殺人であっても、これとは全然違う。

テロルは起こした本人の意思に関わらずすべてが国家に対する敵対である。

子殺しは事情を問わず、本人が何と言おうと、すべてがその子に対する怨嗟である。

自分が苦労する事を子に転嫁して自分を正当化しようとする心理が働いているのだ。


こういう行為は単なる親の身勝手。

親のわがまま。

何が教育熱心な母親だ。

ばかばかしい。


こういう人間の心には自己正当の意識しかないに決まってる。


その子が産まれた瞬間の幸せをすべて忘れてしまうほどの苦しみなんかこの世界に存在しない。

ただただ身勝手で無責任な自己防衛のために殺しているだけであって、テロルほどの意志も存在しない唾棄すべき者だと私は思う。