いや、今朝から笑ったことがあって。


今日は


北川景子さん


のドラマが始まると言うことで、朝からいろんな番組に宣伝で出演するというので早朝からの番組もいろいろ録画予約をしてあって、でも早く起きてしまったんだからと、そう言った朝の情報番組をぼんやりと眺めていたのだがその中で先日起きた


女子中学生による父親の刺殺


に関連して、中高生にインタビューをしていた。


バスジャック


もあったし。


こういう事件ってホントに連鎖するから。


年代的にも同年代の影響を受けやすいだろうし。


そのなか、ほとんどの子供たちが親との口論、言い争いに不満を感じているようだった。


それでは、親に言われていやだったことはなにか?


との問いに対する答えの第1位が


「家を出て行け」


である。


不謹慎は承知で言わせてもらうけれども。


私はここで吹き出してしまったのである。


これね、私が常日頃、息子に言っていることなのである(笑)


いや、私と息子、ケンカなんかしませんよ。

口論にもならない。

でもね、今、高1の息子は、体もでかくなって、声も低くなって、それでいて、まあたまに機嫌が悪くてふてくされているような事はあるにしても、基本、母親が好きだし、私とじゃれるのも好きなものだから、わりと傍にいたがるのだけど、正直、暑苦しい(笑)、ぶっちゃけウザイ(笑)と、ウチの場合、それを親の方も我慢しなくて「ウザイ」「あっち行け」「しっしっ」と、追い払ったりして、だけど息子もそう言われると益々絡んできたりして


「ひどいなぁ、親のいうことじゃないよね」

「うるせぇ、親だろうが兄弟だろうがウゼェもんはウゼェ。あ、いいこと思いついた。おまえ、夏休みに旅行行って来い。青春18切符買ってやるから40日間、絶対帰ってくるな」

「ぜったい、行かない。部活もあるし」

「かわいい子には旅をさせよって、親心がわかんねぇのか?」

「思ってないクセにそんなこと」

「なにいってんの?ひとりで旅をして帰ってきたらきっと、一皮むけてかっちょいい男になるんじゃないか?」

「いかねぇよ」

「行けよ」


まぁね、こんな感じの会話が常日頃からされているわけなんだけども、どう考えても息子がこれを根に持っているとは思えないし、直接本人にも聴いてみたがまったく気にもとめていないどころか、そう言われる事を楽しんでいる節がある。

もちろん、これはじゃれているのであって、必ずしも本気で言っているのではないし、それを息子もわかっていると言うことで、でもボクの中では少し本気の部分もあって、ひとり旅ってのは間違いなく人間を成長させると、これはマジで思っている。


で、ウチでふつうに言っている文言が、親子での致命的な断絶を生んでいるというのも事実で、これ、ここになんの差があるか?である。


思い当たること。


・ウチは子供とケンカをしない。

 ↓

 ウチでは親が絶対にエライという意識が、教えもしないのに浸透していて、私がマジ切れして言い渡した事に関しては、子は絶対に服従するのだけど、この事に関して子供らは私をうるさいとは思っていても、私が悪いとは思わないようで、だから当然私を憎むという感情には発展しないのである。

 ↓

これは、ウチが暗黙のウチに親子という上下関係を認識しているからだと思う。

少なくとも、子供が小さいうちも、友達のような感覚でつき合ったことがない。

友達同士は同等であり、裏切られれば相手を憎むようになるのである。だから、場合によっては完全に関係が断絶するすなわち、絶交ということになりうるのである。

親子が絶交なんてできないのだ。だから、親子は同等ではない。かならず親のチカラが優位でなければならない。また、それは子供がわかるようになってからではダメなのである。小さいうち、まだ友達関係を築く前の段階で、親は、あくまでも親として上位に君臨しなければならない。

これ、高圧的といえば高圧的かもしれないけど、親が子に高圧的で何が悪い?ってことである。

例えば私の家で私が育てているうちは、私の意志がそのまま教育方針なのだから、これに従うのが当たり前だと思うのだ。もちろんそれが単なる暴力主義、不条理であってはならないし、それではもうすでにそいつ自身が親として不適合なのである。

しかし、これ、私の経験から言って、子供はぶん殴ったって、その理由が整然としていて、明らかに自分に非があることを納得すれば、反省をするものである。

・・で、結果、私が思うに、親が気を使いすぎて、子供の心が弱く、折れやすくなっちゃってんじゃないの?って事なのだ。

子供が小さいとき、子供に気を遣うあまり、言わなければならないこと、無理矢理にでも飲み込ませなければならないことを後回しにする。「いつか、わかる日が来るさ」とか、「もう少し大きくなって、考えられるようになってから」とか言いながら。

ちゃんと教えなければ「いつか」なんて来ないのだ。「大きくなって自我が芽生えればもうそれが優先で、親のコトバなんか耳にはいらない」のである。


子供の心を鍛えること


これを本気でやってる親が少ないよ。


心なんつったって、筋肉と同じ。


叩けば強くなるのである。


小さくて柔軟な心を鍛えなきゃダメ。


思春期の心は、人生で最も脆い、最も弱い。

その時期に叩けば折れるに決まってる。


それ以前に叩いて叩いて、きっちり鍛え抜けば、冒頭の

「出て行け」

を、ちゃんと受け入れられる人間になる。


小さい頃からなにをしても「まぁいい」ですまされてきて


中学、高校あたりの一番壊れやすいこころのときに「言うことを聴かないなら出て行け」

って言われたら傷つくに決まってる。

折れるに決まってる。

壊れるに決まってる。


反論、反感は承知のうえであえて断言しちゃうけど。


親が悪い。


子供たちの体は大きくなっているけれど、心は貧弱だ。


でもそれは鍛えなかった


親が悪い。


子供は巣立ったら


勝手にすればいいんだ。


二度と巣に戻ってこなくて上等なんだ。


でもそれができるように鍛え上げるのは


親の責任だ。



『図書館戦争』公式サイト