夕焼けによって心癒されていた分、その至福を突き破って出現した罵倒による苦痛とそれに起因する怨嗟の心。これは文字通り筆舌に尽くしがたいものでその瞬間ガキの私は確実に狂った。と、今は自覚できるけれどもその当時はもちろん狂ったとは思っていなくてただ、敵が憎くて額から脂汗が流れていて「ぶっ殺す」というその一心が強く強く心のの中にわだかまってしまって「ぶっ殺す」側の私の方が、もう憤死寸前だったので「あ、死ぬな、俺は、このままでは死ぬな、間違いなく。死ぬくらいならぶっ殺そう、あいつらを。」と、いわば刺し違える心意気というか、そう言った信念に突き動かされてそうなると案外、行動が冷静になってしまい、ふんふんと鼻歌を吹き鳴らし、軽やかにスキップを踏んで学校近くの文房具屋に押し入り、店主のジジイが「いらっしゃい」と言ってから店に出てくるまでに時間がかかるのをこれ幸いと彫刻刀とかカッターナイフとか、都合良くそろえて置いてある刃物類をダダダダダッと、金持ちがフグ刺しを箸で手繰るような勢いでもってすくい上げ、そのまま満面の笑みを浮かべながらくるりと反転し、スキップもそのままに店の外に出てとりあえずそうねぇ、カッターでイキますか?ってなもんでバリバリッと勢いよく包装を引きちぎり、ガチガチと刃を引き出して正面から迫る「無理。」の連呼めがけてそれを投げつけたのだ私は。
ぽそ。
いかん。遠かった。
カッターナイフは私と敵軍の中間よりさらに私寄りの歩道に落ちた。
双方共に歩道に落ちたカッターナイフを瞬時眺めていたのだが、私は「殺りそこねた」という慚愧の念から、敵方はそもそも私が何を投げつけたのかもよくわからなかったようで互いに沈黙し、一撃目は私にとって完全なスカであった。
だがやはりバカである。鯖並みの生き腐れ野郎共である。のこのことカッターナイフの落ちている地点までやって来て私が何を放って寄こしたのかを確認しているのである。
「あっぶねぇなぁ。」
と、鯖のリーダーである通称オチマルが呟いた。
「ふふん、バカめ、チャンス!」と、私はほくそ笑み、今度は彫刻刀、それもやや幅の広い平刀をチョイスして刃先保護のゴムカバーを抜き取り、オチマルめがけて投げつけた。平刀はくるっと回転し、我が人差し指の肉を薄く剔りつつ飛んだ。
ぽそ。
いかん。軽かった。
やはり忍者のようには行かない。手裏剣は見た目より重量があるために結構な飛距離を出せるのであって、あまり手の油を吸っていない新品の彫刻刀それも、小学生が使用するような代物では軽くすぎて全然飛ばなかったのである。
だが所詮、他人をあげつらう程度の楽しみしか持てない低レベル、低脳のオチマルであるので、刃物が飛んでくるというその一点に恐怖し、あわわわわという形に唇をひん曲げて阿呆の群に逃げ帰っていく。
「けけけ、逃がさんよ!!」
私の声は陰気に、だがけたたましく周囲に響き、オチマル軍はその声にもまた恐怖したようで「ひぃぃぃぃ!」とまるでテレビの時代劇で殺される寸前の町人のような声を上げながら逃げていくのだが、そこはやはりバカで脳が臭い鯖軍団である。とにかく群れ。一団なのである。と言うことは、私がびゅんびゅんと手当たり次第に刃物を投げつければこれは、鯖の群に網を伐つようなもので確実に何人かは仕留められるのだ。本当にバカな奴ら。臭い奴ら。生き腐れの痔瘻鯖。
そして私はその通りにした。びゅんびゅんと、ついでに自分の手の皮膚が肉が切れて大量出血し、ぼたぼたと地面のコンクリに黒い斑点を作ってゆくのを感じてちょっと気持ち悪いな、痛いなとヤな気持ちになりながらも手当たり次第に刃物を投げつけた。投げつけ続けた。憎しみも怨嗟も消え、感情ではなくてただ刃物を投げつけること。鯖を殺戮すること。自分がその行為そのものになっているような。そんな清々しい心持ち。
悲鳴が聞こえていた。私を遠巻きにして女子の声で。
私の両手は血だらけで、それはもちろん私の肉がさけたために出血している私の血液なのでとても痛くて、ハナもだらしなく垂れていてきっとたまらなくみっともなかっただろうと思う。
とにかく私は呆然と突っ立っていた。
そして突如後頭部にラリアートを喰らって私は膝を折った。
崩れ様見たのは文房具屋のジジイ。左手はラリアート後のフォロースルー、右手には血に染まった無数の刃物を抱えて。
「このガキ、とんでもねぇ、万引きした商品で他の子を襲いやがって!もうじき親が来るからな!覚悟しとけ、この鯖小僧!!」
鯖どころではない。私は昆布のような存在であった。無力だ。
ズガンと頭に振動が伝わってジャリッと顔の皮がむけた。歩道のコンクリにぶつかってちょっと頭がバウンドした瞬間、オチマルの高笑いと鯖軍団の「無理。」コールが聞こえ、見えた。
残念だ。
無念だ。
私は足が遅かった。
私が放った手裏剣はひたすら地面に落下し、ついに鯖を一尾たりとも捕らえることはなかったのである。
鯖は速かった。
ダメだ。体を鍛えよう。私はその時、文房具屋のジジィに愛想笑いを浮かべつつペコペコする我が父親と文房具屋のジジイを高笑いしながらブチのめす我が母親の幻を見ながら決心し翌週、部落のソフトボールチームに入団したのだった。
私はやはり昆布である。
せっかくそうしてガキの時分に体を鍛えたというのに、大人になったらこのようにぽちと部屋にたったひとり籠もっていて数の子にまみれることすらなく。
(了)