人はなぜ文章を読むのだろうか。


哲学っぽいフレーズが返ってきそうな問いであるが、某本では、「空白」があるから人は文章を読むと書かれていた。

たとえばこのブログの一行目を見たとき、「このブログではどのような答えを出すのか」という空白が生まれるだろう。

更に言うなら、タイトルである「文章の推進力」という一文を見た時点で、なんらかの「興味をもてる空白」の生じた人がこの文章を見ているはずである。


文章の人に読まれる力を文章の推進力と定義した場合、文章の推進力の多くは「空白」によっているというのは確かであると思う。

問題は文章の推進力が「空白」以外にもあるのかどうか、また、「空白」というのはどのような種類があって、どうやったらうまく自分の文章に組み込めていけるのか、ということであるが、それについてはまだ考えがまとまっていない。


今後検討していきたいこと

・「空白」以外の推進力

・「空白」の種類

・「空白」を文章の中に組み込む方法