ひとりで行くと覚悟を決めて行った山は
22歳の時の
北アルプス
蓮華温泉〜朝日岳〜三国境〜白馬岳
〜雪渓を下る
というもの
その夏は東京に滞在していて
ぽっかり空いた
夏休みだった
「ほんなら北アに行こうか!」
と思いついた
親には〈観光地〉と言っておいた
友だちを誘わなかったのは
出発の地が四国〜大阪ではなく
東京からだったからだと思う
アルペンガイドをみて
難易度
行きたい山
登山口までの時間
日程で決めた
今のように
YouTubeもなく
アルペンガイドに書いてあるだけの情報
それで事足りた
今でも
大まかにしか調べないのは
(調べすぎないのは)
そこから来ているのだと思う
それで事が足りるから
後押しになったのは
山と渓谷の表紙の
額に汗した女のコの写真と
コレまでにやってきたこと
(北アにも南アにもはいっていた)
(その他)
だった
唯一不安だったのは
〈モッコ渡し〉というもの
川を渡るものなのだが
聞いたことも見たこともなかった
「何とかなるやろ!!」という気持ちだった
これにひとりで乗り
自分でロープをたぐっていくと
向う岸に運ばれていった
わたし以外誰もいなかった
蓮華温泉から朝日岳小屋までは
人にあった覚えがない
朝日岳小屋に泊まった
昔は予約など要らなかった
若いオニイサンがいて
「水平道は水平ではないよね!!」と言った
(水平道は翌日の行程)
2日目は天気が悪かった
時々小雨で
ガスでまわりがはっきりしなかった
ガスった中
避難小屋で休憩しながら
メチャ心細かった
白いガスがそう思わせる
周りが見えないのが心細かった
後にも先にもあんな心細さは無かった
1番といってもいい
心細さ
対向ですれ違う人が数名いた
アルバムをみると
白馬岳のピークだけで写真を撮っていた
セルフで撮れる
バカチョンカメラだった
白馬岳の小屋で泊まった
ギュウギュウ詰めで
顔を横に向けると
知らんオジサンがいた
あの時は
オジサンと思ったけど
30代位だったと思う
(かわいそうに)
挨拶位はしたかもしれないが
ひと言も
話した記憶がない
多分話してない
どこで手にいれたのか忘れたが
4本爪の簡単なアイゼンで雪渓を降りた
長い雪渓だった
そして
無事下山した
このときの山行があるから
今があるような気がする
その頃考えていたのは
進むか撤退するかを一人で決めるとき
撤退を選ぶのは
「心細さ」という心情に
流されているからではないかということだった
判断難しいと…
だから今でも反動で
「行け行け、行かんかったら後悔するよ!」
と自分に言ってしまう
今また行きたい山が
できてきた
昔と違うのは
飛び出すだけでなく
無事に
帰ってくること
新聞沙汰にはならないように
ということを
考えだしたこと
年齢を重ねると云うことは
そういうことなんだなと感じる
そして
やっぱり「行くほうを選べ!」と言っている