ニューヨークから帰る飛行機で観た映画をもう一本。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」です。
この映画は僕が最も愛する映画なのですが、
改めて観てみて、
何故僕はこんなにもこの映画が好きなのか、
ちょっとだけ分かった気がします。
この映画を始めてみたのは
たしかテレビの金曜ロードショーとか
そんな番組でだったのですが、
当時僕は小学校3年か4年くらい。
続編の2と3が小学校5年か6年の頃に上映されたので
これは映画館で観れたのでした。
確か2も3も親と観に行って、
大変面白い映画を観たと喜び合った記憶があります。
その後中学1年生の頃、
クラスの友達が全3作のビデオテープを持っていて、
めちゃくちゃ羨ましくて、
よく通って一緒に何度も観ていたのを覚えています。
その後、僕は自分が映画が好きなことを自覚し、
近所のレンタルビデオ屋で多くの映画を借りることになるのですが、
それは同時に、だんだんと自分が観ている映画の話を
人とする機会が減っていくことの始まりでもありました。
観る映画も中学の頃はとにかくホラーやスプラッターやバイオレンスばかりで
僕はこのまま宮崎勤になるのではないかと人知れず不安になりながらも
それらの映画を観続けることを止められないでいたのでした。
こうして中学・高校と
自分が観ている映画について誰かと話したいとか思うこともなく
ただ淡々と週に3本くらいのペースでビデオを借りて、
たまに池袋まで行って上映映画を観る、
そんなサッカー部員でした。
その頃、サッカーは、というかスポーツは誰にでも理解され、
いいねえ、偉いねえ、頑張るねえと言われることに
映画と比較して不公平感を感じていたのでした。
今思えば、若さゆえに自分の個性というものをどう扱っていいか分からず、
誰もがそうであるようにもてあましていたわけです。
そんなどう扱っていいのか分からない
個性?趣味?キャラ?がばれないよう、
なんでばれちゃいけないのかも分からないままに
サッカーウェアの中に無理くり押し込めて、
サッカー部の友達たちと過ごしていたような気がします。
思い返せば僕にとって
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は
家族や友人と話した最後の映画だったのです。
その後、大学で幸運にも先輩や同級生、
2年生以降は後輩にも恵まれ
僕の映画趣味は人と繋がっていくわけですが、
それは次なる困難の始まりでもありました。
今度は映画を作ってみたりすることになるのですが
作るということは当然、人に見てもらいたいわけで
実際上映会などに向けて制作をします。
が、作ったものが理解されない、というか
「おもしろいとかそれ以前に、よくわからない」という
評価を受けるのです。
まあ、当たり前です。
お話をお話としてしっかり語る技術もなく、
結果なにをやっているのか分からず
帰結として、圧倒的に面白くないのですから。
残念なことになっていたわけです。
その後、大学生にありがちな、彼女が出来たりなんかして、
映画で感じた、なかなか人に届かないという困難は
抜群に人と繋がった気になれる恋愛とやらに上書き保存され
「趣味はあんまり話すとややこしいことになるから、
それなりにしておくことでまあそれなりに繋がってよしとするのが
分別ある付き合いというものだ。
そうしないと、宮崎勤になってしまう。
彼女とか恋愛とか結婚とかちゃんとして犯罪者にならないようにせねば」
と結構本気で考えていたのでした。
若いって大変だなあ。
その後、僕は本当にありがたいことに
妻に(当時はもちろん妻ではありませんが)拾ってもらい、
上記のような大変でやれやれなマインドを払拭してもらい
いつも僕の映画の話に付き合ってもらっているわけであります。
そんな訳で改めて、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は
僕の思春期において唯一、「大好きなもので人と共感できた経験」として
僕の中におそらくは永遠に孤高の存在として刻まれるのだろうと、
ニューヨーク滞在の帰りの飛行機で思い至ったのでした。
バック・トゥ・ザ・フューチャー 【プレミアム・ベスト・コレクション1800円】 [DVD]
¥1,488
Amazon.co.jp
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」です。
この映画は僕が最も愛する映画なのですが、
改めて観てみて、
何故僕はこんなにもこの映画が好きなのか、
ちょっとだけ分かった気がします。
この映画を始めてみたのは
たしかテレビの金曜ロードショーとか
そんな番組でだったのですが、
当時僕は小学校3年か4年くらい。
続編の2と3が小学校5年か6年の頃に上映されたので
これは映画館で観れたのでした。
確か2も3も親と観に行って、
大変面白い映画を観たと喜び合った記憶があります。
その後中学1年生の頃、
クラスの友達が全3作のビデオテープを持っていて、
めちゃくちゃ羨ましくて、
よく通って一緒に何度も観ていたのを覚えています。
その後、僕は自分が映画が好きなことを自覚し、
近所のレンタルビデオ屋で多くの映画を借りることになるのですが、
それは同時に、だんだんと自分が観ている映画の話を
人とする機会が減っていくことの始まりでもありました。
観る映画も中学の頃はとにかくホラーやスプラッターやバイオレンスばかりで
僕はこのまま宮崎勤になるのではないかと人知れず不安になりながらも
それらの映画を観続けることを止められないでいたのでした。
こうして中学・高校と
自分が観ている映画について誰かと話したいとか思うこともなく
ただ淡々と週に3本くらいのペースでビデオを借りて、
たまに池袋まで行って上映映画を観る、
そんなサッカー部員でした。
その頃、サッカーは、というかスポーツは誰にでも理解され、
いいねえ、偉いねえ、頑張るねえと言われることに
映画と比較して不公平感を感じていたのでした。
今思えば、若さゆえに自分の個性というものをどう扱っていいか分からず、
誰もがそうであるようにもてあましていたわけです。
そんなどう扱っていいのか分からない
個性?趣味?キャラ?がばれないよう、
なんでばれちゃいけないのかも分からないままに
サッカーウェアの中に無理くり押し込めて、
サッカー部の友達たちと過ごしていたような気がします。
思い返せば僕にとって
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は
家族や友人と話した最後の映画だったのです。
その後、大学で幸運にも先輩や同級生、
2年生以降は後輩にも恵まれ
僕の映画趣味は人と繋がっていくわけですが、
それは次なる困難の始まりでもありました。
今度は映画を作ってみたりすることになるのですが
作るということは当然、人に見てもらいたいわけで
実際上映会などに向けて制作をします。
が、作ったものが理解されない、というか
「おもしろいとかそれ以前に、よくわからない」という
評価を受けるのです。
まあ、当たり前です。
お話をお話としてしっかり語る技術もなく、
結果なにをやっているのか分からず
帰結として、圧倒的に面白くないのですから。
残念なことになっていたわけです。
その後、大学生にありがちな、彼女が出来たりなんかして、
映画で感じた、なかなか人に届かないという困難は
抜群に人と繋がった気になれる恋愛とやらに上書き保存され
「趣味はあんまり話すとややこしいことになるから、
それなりにしておくことでまあそれなりに繋がってよしとするのが
分別ある付き合いというものだ。
そうしないと、宮崎勤になってしまう。
彼女とか恋愛とか結婚とかちゃんとして犯罪者にならないようにせねば」
と結構本気で考えていたのでした。
若いって大変だなあ。
その後、僕は本当にありがたいことに
妻に(当時はもちろん妻ではありませんが)拾ってもらい、
上記のような大変でやれやれなマインドを払拭してもらい
いつも僕の映画の話に付き合ってもらっているわけであります。
そんな訳で改めて、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は
僕の思春期において唯一、「大好きなもので人と共感できた経験」として
僕の中におそらくは永遠に孤高の存在として刻まれるのだろうと、
ニューヨーク滞在の帰りの飛行機で思い至ったのでした。
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