小さい頃、新聞を読んでいる人は大人に見えたし賢く見えました。
あこがれました。
大きくなって、記者クラブとか再販制度とかクロスオーナーシップを知り、
報道とビジネスを両立することは難しいなあと考えるようになり、
小さい頃とは新聞に対する印象が少し変わりました。
①テレビ ②新聞 ③インターネット
これは08年のメディア別広告売上高の順序です。
近く、インターネットに2位の座を新聞はあけ渡すといわれています。
この数字を持ち出して、新聞が読まれなくなったとかいわれますが
新聞の売上構成比上、広告収入は3割に過ぎず、
購読費とその他(美術展などのイベント等)が7割を占めていますので
一概に新聞が危機的状況にあると言うのは少し早とちりかもしれません。
広告収入の縮小もあり、今後更に購読費・その他の売上構成比は増えることが予想されます。
広告業界にいながらこのようなことをいうのは不謹慎ですが、
報道という観点に立ったとき、この傾向は新聞報道にとっていいことだと考えていました。
企業収入よりも読者からの収入により依存することで
企業の都合でなく消費者の利益にたった視点での報道がなされることは
いいことだというのがその理屈です。
しかし。
しかしそうならないことにもここ数年で気づきました。
消費者が求めている情報があまりにも短期的視点に立っているからかなあと思います。
誰が死んだ。誰がつかまった。誰が賄賂を貰った。
もちろんそのような事件の集積で社会が出来ている以上
重要な情報であることは間違いありませんが
もう少し長期的視点で過去を振り返ったり未来を見たりしたいもんだなあと。
お客が求めるものを与えていたらお客が滅びてしまってパーになった。
そんな絵が浮かびます。
まとめると、新聞が危機的状況にあるとするならば
それは売上や部数もさることながら、その質にこそあるだろうと思っています。
そしてその質がいつか私自身を滅ぼす。
食品業界などあらゆる業界で起きていることです。
新聞は買わない。
そんな決断を未来の高品質のためにも今すべきな気すらしてきます。
もはや新聞だけには頼っていられず
テレビ、ラジオなどからも良いと思う情報源を寄せ集めていますが、
それだけではどうも偏っている気がします。直感ですが。
そんな偏りのバランスを取ってくれている情報源。
それがビデオニュースドットコムです。
http://www.videonews.com/
2001年9月11日の同時多発テロが起きた日、
あらゆる報道で犯人探しが始まり誰もがアメリカ側に着いていたあの日に、
僕の知る限り唯一、「アメリカの自業自得説」を唱えた報道期間が
ビデオニュースドットコムでした。
若きジャーナリストを育てようと
京都で教鞭を振っていらっしゃる点など結構つぼだったりする。
http://www.vjdojo.net/
運営主は神保哲生。かなりのジャーナリストとお見受けしております。
http://www.jimbo.tv/
話が逸れた。
どちらが正しいかではなく、あくまで自分がこの目で見たことでない限り
僕は「知らない」という立場を貫き、
出来るだけ多くの立場から情報を取りたいと思っています。
もちろんそれでも真実は分からない。
「分からない」という言葉と「真実」という言葉は
同義なんじゃないかと錯覚するほどです。分からない。
ほんとのとこなんか分かっちゃいないのに、それでも日々行動が必要で、
行動すると言うことは判断するということだから
一握りの経験と膨大な不確定情報をもとに今日も判断しなければなりません。
情報は不確定であり、決断は常に暫定的です。
そのケツの座りの悪さ、不確実性や不安に耐えられなくなると、
「絶対」とか「断固」とか「決然」という言葉に
吸い寄せられてしまう。
寄らば大樹の陰とばかりに。
で思考停止。
「今は本気じゃない」という台詞に垣間見えるプライドやら
「戦略的手抜き」というクール気取りの先送りやら。
どんだけ他力本願だよ。
さむいっす。まじさむいっす。
知らない自分を認め、不安を認める、誠実な人間でいたい。
その誠実は一見、無責任と似ている。
似てるように見えますが違います。
その誠実は「決めた以上はその決断を正しいものにしてみせる」という
自分の決断に対する誠実さと繋がっていると考えています。
誠実でない強者は強者ではない。
弱者のほうがまだ強い。
勝負に勝ったとか負けたとか以前に、
誠実でなければ負け犬である。
日本が優勝したことでなく、
駄目かもしれないという不安や
不調だという自分も認めたくない状況に打ち勝ったその誠実さを
祝福します。
お疲れ様でした!!
あこがれました。
大きくなって、記者クラブとか再販制度とかクロスオーナーシップを知り、
報道とビジネスを両立することは難しいなあと考えるようになり、
小さい頃とは新聞に対する印象が少し変わりました。
①テレビ ②新聞 ③インターネット
これは08年のメディア別広告売上高の順序です。
近く、インターネットに2位の座を新聞はあけ渡すといわれています。
この数字を持ち出して、新聞が読まれなくなったとかいわれますが
新聞の売上構成比上、広告収入は3割に過ぎず、
購読費とその他(美術展などのイベント等)が7割を占めていますので
一概に新聞が危機的状況にあると言うのは少し早とちりかもしれません。
広告収入の縮小もあり、今後更に購読費・その他の売上構成比は増えることが予想されます。
広告業界にいながらこのようなことをいうのは不謹慎ですが、
報道という観点に立ったとき、この傾向は新聞報道にとっていいことだと考えていました。
企業収入よりも読者からの収入により依存することで
企業の都合でなく消費者の利益にたった視点での報道がなされることは
いいことだというのがその理屈です。
しかし。
しかしそうならないことにもここ数年で気づきました。
消費者が求めている情報があまりにも短期的視点に立っているからかなあと思います。
誰が死んだ。誰がつかまった。誰が賄賂を貰った。
もちろんそのような事件の集積で社会が出来ている以上
重要な情報であることは間違いありませんが
もう少し長期的視点で過去を振り返ったり未来を見たりしたいもんだなあと。
お客が求めるものを与えていたらお客が滅びてしまってパーになった。
そんな絵が浮かびます。
まとめると、新聞が危機的状況にあるとするならば
それは売上や部数もさることながら、その質にこそあるだろうと思っています。
そしてその質がいつか私自身を滅ぼす。
食品業界などあらゆる業界で起きていることです。
新聞は買わない。
そんな決断を未来の高品質のためにも今すべきな気すらしてきます。
もはや新聞だけには頼っていられず
テレビ、ラジオなどからも良いと思う情報源を寄せ集めていますが、
それだけではどうも偏っている気がします。直感ですが。
そんな偏りのバランスを取ってくれている情報源。
それがビデオニュースドットコムです。
http://www.videonews.com/
2001年9月11日の同時多発テロが起きた日、
あらゆる報道で犯人探しが始まり誰もがアメリカ側に着いていたあの日に、
僕の知る限り唯一、「アメリカの自業自得説」を唱えた報道期間が
ビデオニュースドットコムでした。
若きジャーナリストを育てようと
京都で教鞭を振っていらっしゃる点など結構つぼだったりする。
http://www.vjdojo.net/
運営主は神保哲生。かなりのジャーナリストとお見受けしております。
http://www.jimbo.tv/
話が逸れた。
どちらが正しいかではなく、あくまで自分がこの目で見たことでない限り
僕は「知らない」という立場を貫き、
出来るだけ多くの立場から情報を取りたいと思っています。
もちろんそれでも真実は分からない。
「分からない」という言葉と「真実」という言葉は
同義なんじゃないかと錯覚するほどです。分からない。
ほんとのとこなんか分かっちゃいないのに、それでも日々行動が必要で、
行動すると言うことは判断するということだから
一握りの経験と膨大な不確定情報をもとに今日も判断しなければなりません。
情報は不確定であり、決断は常に暫定的です。
そのケツの座りの悪さ、不確実性や不安に耐えられなくなると、
「絶対」とか「断固」とか「決然」という言葉に
吸い寄せられてしまう。
寄らば大樹の陰とばかりに。
で思考停止。
「今は本気じゃない」という台詞に垣間見えるプライドやら
「戦略的手抜き」というクール気取りの先送りやら。
どんだけ他力本願だよ。
さむいっす。まじさむいっす。
知らない自分を認め、不安を認める、誠実な人間でいたい。
その誠実は一見、無責任と似ている。
似てるように見えますが違います。
その誠実は「決めた以上はその決断を正しいものにしてみせる」という
自分の決断に対する誠実さと繋がっていると考えています。
誠実でない強者は強者ではない。
弱者のほうがまだ強い。
勝負に勝ったとか負けたとか以前に、
誠実でなければ負け犬である。
日本が優勝したことでなく、
駄目かもしれないという不安や
不調だという自分も認めたくない状況に打ち勝ったその誠実さを
祝福します。
お疲れ様でした!!