■2章:遍路2周目■映画のような話は実際起こる

                1. 付き人との遍路珍道中

 

DAY67-2

 

沢村さんは、寂しさをかき消したいかのように直ぐに沢村放送に戻った。

 

沢村ラジオ「それでね、遍路しとったら、歩きの男の子に会って、その子がすっごいケチでびっくりしたことあるんですよ。しばらく一緒に歩いたから3~4日一緒に過ごしたんやけんど、その子が出汁を取る昆布を持っとってね。それで出汁を取って、何にも入れんと、うどん入れて食べとるんですよ。それでね、その昆布を洗濯を干すクリップで洗濯のロープにひっかけて、乾かしよるきん、何しよるの?ゆうて聞いたら、また使う言うて。その時は、なるほど思ったんやけど、毎回、毎日、その昆布を使って干すんですよ。何日も。もう、何の出汁がでるんかなあ~?思って、最後は不思議でね。何の味もないやろ思って。僕も、お金をあんまり持ってなくてけちっとったけど、なんぼなんでも、あそこまではせんよ。いやあ、ケチにも上には上がおるもんやなあ思ったよ。」

私「へ~。そんな人もいるんだね。」

沢村さん「あれは、何の味がするんやろか?」

私「気休めの味?」

沢村さん「絶対そうやあ!絶対、気休めの味しかせんきん!」

 

そして、何故か沢村さんは、珍しく沢村ラジオの次の放送までしばらく間があく。

きっと、もうすぐお別れしなければいけないことが、寂しいのかもしれない。

 

私「さあ、沢村さん、行こうか!」

 

生憎、小雨の降る中、愛媛県宇和島市にある別格6番龍光院へと沢村タクシーで向かった。

駐車場に到着すると、目の前に幅広の境内まで真っすぐに伸びた階段が見える。

雨も降っているけど、今の私ならこの階段をあっという間に駆け上がれると思ったので、霧雨のような小雨だし、このまま傘もなくパッとお参りを済ませて来ることにして、軽トラを飛び出した。

 

階段を上り始める。

体力が絶好調の私は、無駄な動きは一切なく、身体もアップダウンもせず、背筋をピンと伸ばして真っすぐにサーッと駆け上がる。

斜め後ろを控えるように付いて来る沢村さんが、突然、私が濡れないように斜め後ろから傘をサッとさし、自らは濡れながら腰を低くして私のペースに合わせ、上までサーッと駆け上がる。

一瞬、ん?なんだ?と思ったものの、沢村さんは、どうやらこの親分子分な状況に浸りきっているようだったので、捨て置いた。

 

お参りをしている間も、頭を下げるように脇で控え、お参りを済ませ、また私が階段へと向かうと、パッと斜め後ろから私に傘を差し、自らは濡れながら、無言で斜め左後ろをサーッと付いて来る。私は、そのまま下へと階段をサーッと駆け下りる。

雨だからなのか、周囲にほとんど人はいなかったものの、私達を見かけた人達は、本当に何処の親分と子分だろうと不思議に思ったに違いなかった。

軽トラに戻って、パッと飛び乗り、直ぐに沢村さんが軽トラを発進させたかと思うと、沢村さんは、歓喜の声で一人大興奮している。

 

沢村さん「いやあ~~~!!夢が叶った~~~!!長年の夢が~~!!」

 

ん?

今の一瞬で済ませた雨の中の龍光院のお参りの間に、沢村さんの長年の夢が叶うようなことがあっただろうかと不思議な気持ちになっていると、更に沢村さんは続ける。

 

沢村さん「いや~~~!!嬉しいなあ~~!!ほんまに、長い事、憧れとったんですよ~~!!」

 

ん?

そんな憧れるような人に、さっきの寺で会った気もしないけど・・・。

 

沢村さん「あの親分と子分が出てくるような映画でね、赤いじゅうたんの上を親分が、サーッと歩いて行く後ろを子分が傘を親分に差して、サーッと後ろを控えて付いて行くのに、憧れとったんですよー!!かっこええなあ思って!」

 

え?

そのこと?

 

沢村さん「あーー!!やっと夢が叶ったわー!嬉しいな~!あれをいっぺんでいいから、やってみたかったんですよ~!」

 

って、おい!憧れとったんは、親分の方じゃなくて、傘をさして付いて行く、子分の方かい!と、私はこっそり心で突っ込みを入れた。

 

 

しばらく、沢村さんは、あまりの喜びで同じ話を延々と繰り返している。

そうこうしている内に同じ宇和島市にある41番龍光寺へと到着してお参りをする。

沢村さんは、今か今かと期待に胸を膨らませているのか、何故かいらない傘を持ち歩いて、控えるように付いて来る。

残念だけど、さっきまでの小雨は降りやんでいた。

 

お参りを済ませ、また沢村タクシーで42番仏木寺へ向かう。

沢村ラジオは、またあの親分に傘を差すと言う自分の夢が叶ったと大喜びで何度も何度も同じ話を繰り返す。

そしてまた脱線しては、前に聞いたような話も混ざりながら、沢村タクシーの速度とは裏腹に混線ラジオトークの白熱度は加速した。

 

沢村ラジオ「僕はねえ、最初にお遍路をした時は、まだ25歳だったんですよ。それでね、色々あって、遍路行こう思って愛媛の家を出発したら、1週間でへこたれて、直ぐに家に戻って来たんですよ。いや~~!悔しかったな~!もー、なんちゃあない!たったこんだけで、止めて帰って来るんやきん。あ~、情けなかったわ~。」

私「ねえ、その話、もう何回も聞いたんだけど。」

沢村ラジオ「あ、それでね、なんちゃらかんちゃら、ピーチクパーチク。」

 

沢村さんには、私が同じ話を何度聞いていようとも全く関係のない事のようだった。

 

沢村ラジオ「で、荷物がね、22キロだったんですよ。それで僕のは重いきん、なんちゃらかんちゃら、どうたらこうたらで、とにかく大変なんですよ。それでね、皆は、15キロくらいやけんど、22キロやから、どうのこうの。」

私「ちょっとー!沢村さん。22キロを持ち歩いたって話をあちこちでしてるけど、じゃあ減らせよ!って思われちゃうよ!22キロ持ってて、減らしたって話ならあれだけど、結局、それを持ち歩いて延々と沢村さんの苦労話が続くってだけじゃん!もー。うけるわあ!」

 

実際、沢村さんがこの話をとある中年の歩き遍路に延々としていると、いつまでも終わらない沢村さんの話にもうんざりしたのか、いきなり「そんな事は、なんの自慢にもならないから、あんたがバカなだけな話だよ!うるさい!重たい荷物を持ち歩くことは、何の自慢にもなりません!あんたは、バカか!」と怒鳴られたのを見たこともあった。

 

沢村さん「ほんでも、いるんですよ。全部。」

私「じゃあ、私がもし沢村さんと歩き遍路を一緒にするなら、沢村さんがなんでも持ってるから、私の荷物減るね。ははは。」

沢村さん「ああ。僕は、何でも持っとるきんね。コンロも持っとったら、コーヒーも飲めるし。」

私「私は、体力を使うお遍路は少しでも荷物を減らしたいのに、沢村さんは、荷物を増やしてるよね?」

沢村さん「でも、鍋もあったら、ラーメンも食べれるでしょ。」

私「じゃあ、いるものは全部沢村さんが持ってるから、私、寝る道具と着替えだけでいいね。軽いわあ。そしたら。」

沢村さん「ええよ。どうせ、僕が持っとるきん。」

私「でも、そんな事してたら、自分の体力の限界との闘いをしないといけないと言うのに、くたばっちゃうよね。」

沢村さん「いやあ、それがあったんですよ。」

 

また沢村ラジオのスイッチを私が入れてしまったようだ。

 

沢村ラジオ「僕が22キロ持って歩いとって、途中で知り合った男の子としばらく一緒に行くことになって歩いとったら、荷物が重たいきん、ひゃ~言うてバテとったら、その子が「何をしよるの!?もう、何回も何回も!そんな重たい物持ち歩いてるからや!僕はもう知らん!」言うて、捨てて行かれたこともあったんでね。あ~、辛かった~!なんちゃらかんちゃら、ピーチクパーチク。」

 

42番仏木寺を打ち、直ぐに43番明石寺を打って、別格8番十夜ケ橋へと向かう。

 

沢村ラジオは、いつものように絶好調なのだが、実は、ここに来るまでに私にとっては沢村さんとの間に大問題が発生していた。

ここ数日は、あともう少しで沢村さんとはお別れだし、私も必死に耐え抜いていたのだが、今日になってもうそれは、我慢できるものではなくなっていて、私は心底困り果てていた。

 

ああ・・・。

無理だ・・・。

 

あまりに辛すぎて、涙目になる。

 

つづく・・・   

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