紅色道楽 -140ページ目

ネタじゃない人生

たまにはブログネタじゃないブログを書きます


一人遊びも得意だけど、人に慣れるとすぐ依存する私です。

近くに誰もいないと食が細くなります。


最近の食生活

朝・さつまいもと牛乳

昼夕・外食(三日おきくらい)

夜・麺等の軽食を作る


食べて寝て排泄してない状態だと、腸がふさがってるので空腹感が起きません。

それで、お茶とか飲んでごまかしてると、

次の日めちゃくちゃお腹減ってて、歩きたくないのにふらふらしながら商店街へ行く羽目になるのです。


不健康です。


ぷゆぷゆ


最近アパートが外壁塗装工事で、うちのベランダも全面ビニールに覆われていたので

「げーっ洗濯できん!どーするかいな」

と悩んでいたら、隣の人が洗濯してるのを見て

「できんと思ったけど、別にそんなことはなかった」

と脱力。



うーん、他に・・・最近あったこと・・・

母に

「ぽさん留学したばっかりなのに、既にむかつくやつができたらしい」と伝えたら

「まあ、そういう人はゴキブリみたいにどこにでもいるものよ」

と答えたので

「でもゴキブリレベルに嫌だったら、相当嫌ってことだよね。

姿見かけただけで叩きつぶすレベルで。」

と返したら笑ってくれました

これがうちの団欒です。


このごろ母のことも父のこともよく知らないなーと思う。

どういう学生だったかも知らないし、洋服の趣味とかもわからないし

・・・歳も忘れかけるし


誰かのことを一方的に知っていて、で、特別に好ましくない情報がなければ

その人のことを好意的に感じるのは普通のことだと考えるんだけど

(なんでって、それは相手についての情報をさらけだして貰えたことが、相手からの信頼なのかもと思うからよ)

(それに、あまり交流がなくても、全くない相手よりは「親しみがある」状態だから)


それで言うと、父母のことなんて何も知らないのに、ある程度愛情を感じるのはすごい事なのかも。

それは一目ぼれで相手のこと知らないのに好きになる、とかとも全く違う。


相手の情報というのは第一に「相手から提示される情報」

第二に「自ら学びとり、相手がどういう人間か判断した情報」

普通に顔を見てコミュニケーションを取る場合は、まずこの順序は

①外見情報+挙動からのイメージ(浅い第二の情報)

②相手に自己紹介された情報(第一の情報)

③相手を観察し、様々なコミュニケーションを取った末の評価(第二の情報)

このようになるはずです。


全く会話したことのない状態だと第二の情報しか得られず、外見が良くないとポジティブな評価を下されにくい

第一の情報は、第二の情報と違い自ら良いように操作できます。

つまり、接触することが誰かに好かれる第一歩ってことです。

もちろん、プロモーション能力や会話能力等に結果が左右されるんだけどね


ここから導かれる結論は

第一の情報だけを示す形式が一番好かれやすいということ。

顔を出さずに、自分の会話や思想などを提示していると、向こうからはこちらがどのような人間か判別しづらい

(第二の情報は、多くは表情、挙動、行動、外見の変化などから読みとれる)

つまりネガティブな情報を放出する可能性が少ないと言うことです。

インターネット上で、知りもしない相手のことを好きになれたりするのはこのような仕組みからです。

実質的な付き合いをしなければ悪い面を見ることが少ないので、いつまででも仲良くいられるのです。

※もちろん自分の感情を、ある程度コントロールできる力がある人の話ですが。


前述した両親への愛は、それとは逆に主に第二の情報から構成されています。

親は「私は○○で、こんな人生を送ってきて、こんな趣味だ」などと自己紹介しません。

ただ、行動でこちらへの感情を示すのみなのです

このやり方だと、ポジティブな感情を抱きにくいことは説明しましたが、

相手の情報をほとんど持っていないと感じるにも関わらず、

他人よりも確固とした愛情を感じるのはなぜでしょう?


それは、人に言葉で提示された愛情よりも、自ら感じ取った愛情の方が重いからです。

元来人間は自らに絶対の信頼を置いています。

それはいつも自信満々ということではなく、なんだかんだで自らの判断で行動するということです

だから人に単に「愛している」と言われることよりも、

自分が一番信頼している自分自身が慎重に判断した「愛されてるなあ」という実感の方が重いのです。


相手のことを知っていると思うこと、知らないと思うこと

基準は人それぞれですが、私は、見て聞いて触って確かめたいと感じるのです。