私の家から小中学校へいくときは
近所の神社の前を通らなければ、広い道にでられない。
小学校時代のある日、
知らない老夫婦が神社の管理人として引っ越してきた。
たぶん、住み込みだったのだろう。
朝夕、神社を通りぬけるとき
ムッツリと怖い顔の老人が箒で庭掃除をする姿を見かけるようになった。
老人は、私が通りかかると少し顔をあげてじっと見ている。
見られていると、なんとなく気まずく、気持ちに間が持たなくて
小声で「おはようございます…」「お疲れさまです…」と言うようになった。
あいさつといっても
学校でも地味な思春期の女子中学生。
小さな声だったし、ハキハキもしておらず元気もなかったと思う。
きっと、上目がちに会釈らしきものをしていただけだっただろう。
中学を卒業すると通学路が変わり、神社の前を通らなくなった。
しかし、バス停に行くときは神社の前を通るので、
時折、老夫婦を見かけると会釈でやりすごしていた。
そんなある日、忘れ物をしたかなにかで、母が私を追ってきたことがあった。
神社の庭で荷物を受け取り、わたしはバス停へと走って行った。
夜、帰宅すると母が話しかけてきた。
母は私を見送ったあと、神社の老人から声をかけられたそうだ。
「どこのお嬢さんかと思っていたら、お宅のお子さんだったんですね」
母は、「ええ、そうですよ」と不思議に思っていると
「家の前を通りかかるとき、あの子は必ずあいさつをしてくれるんですよ。どこの子だろうとずっと思っていたんです」
と言われたそうだ。
「挨拶して通るのは、あんただけだって言っていたよ。あんた、そんなことしてたの?お母さん、びっくりしちゃった」
私のほうがびっくりした。
挨拶したと言えるような挨拶などしていなかったと思う。
ゴツゴツした怖い顔の老人の顔も、あまり見たことがなかった。
むしろ、ろくに顔も見ないでちょっと頭下げただけなんて
人の住まいの前を通るにしては失礼なんじゃないかと思っていたくらいだ。
老人が母に話しかけたことも驚きだった。
ムッツリとした印象で、人嫌いだろうと決めつけていた。
老人は、何年も何年もどこの子だろうと思っていたらしい。
あいさつって実はすごいことなんじゃないかと
初めて「挨拶の効果」を実感した出来事でした。
今でもそのときの驚きは忘れておらず、
職場では、朝、ビルの掃除をしている人たちに挨拶をしている。
最初は返事が返ってこない人もいたが
(自分に声かけられているとは思っていないのだろう)
今では「おはようございます」と先に言われることもある。
目標は、
エレベーターに乗り合わせる、同じビルに通う知らない人に
躊躇せず挨拶できるようになること。
なかなか、そこまで天真爛漫になれないでいる。
でも、できるようになったら、人生が変わるかもしれないとも思う。