良く聞く言葉に「ピンチはチャンス」と言うのがありますが、皆さんはこの言葉をどう感じますか?
人それぞれに感じ方や捉え方、受け止め方も様々だと思います。そして過去の自分ですと、こうでしたね。
「何格好つけた言葉を言っているんだ」とか「そういうのって負け惜しみじゃないの」とか他にも様々で、いわゆる「言葉の意味を分かってないから言っていた」のが明白であります。
自分は実際人生上でこれを強制的に経験され味わされました。ピンチになり慌てますし焦ります。頑張るが「どうにもならない」又は「効果が出ない」で、それはもう「泣きっ面に蜂状態」まで経験させられたんですから、シャレにならないです。
ですが、不思議なもので経験したり学びを得るとこの嫌だった事項が「ああ、なるほど」と合点が行くんですね。だから古来から人は苦労や困難の連続を浴びる(受ける)人っていますし見ますよね?
でも、その経験がその人を強くし成長させてゆくのを見たら、あらまあとは思います。また自分の知る人(友人・知人・身内)でそういう事項に遭った人で克服し成長した人をみると今までは「我慢強い人」だとかと思ってましたが、本人曰く「冗談じゃないよ、苦労なんか」と言います。つまり誰でも好き好んで受け入れている。又は頑張っているわけではないという事です。
そしてその事項に対してちゃんと取り組んで克服した結果、得たものは「成長や進化。又は智慧と教訓」を得ていることです。つまり、苦難や諸問題は「その人の成長などに繋がる地点」なのですね。
ただ、それから逃げるとか避けると学びが無いので成長も進化も無いわけです。いわゆる良い変化と言うものが無い。要は「その人が弱いままや未熟なままで終わる可能性がある」ということです。そして一番厄介なのが「苦難を克服しないといつまでも追っかけてくる」のがあるんですね。
分かりやすい例で言うと自分はどこかへ就職するとある問題が起きます。それは多くの人がそうかもしれませんが、いわゆる人間関係の問題で嫌気が差し辞めて転職をするのをしてたわけです。それはその相手が嫌なので避ける。避けるためには職場を変える。それで確かに事は済みますが、これが別な会社や職種についても何故か「また起きる」んですね。
何回も繰り返した結果、どこまでも付きまとうので考えた結果「自分に問題がある」のに気がついた。ですが、それを「認めたくない自分」も居るんですね。そして結局転職を繰り返して疲弊する、みたいな。
確かに人生内で「そう言うことをしてはダメだ」とか「耐えなさい」とかは言われましたが、原因とか理由とか克服するための示唆を受けたのは無かったんですね。だから、合点が行くアドバイスも無いまま人生をロスしたのがあります。
この事項に合点が行く答えを得たのがアラカンに近い年齢の頃で、スピリチュアルに答えがありましたね。このブログではスピリチュアルの事は多く語りませんので説明は省きますが、それで「なるほど」となった。これを早くから知っていて講じれば人生はかなり違ってたと思いますね。ロスをしないで済むわけですからね。
それと同様に人生では「良い時期と悪い時期」があります。それは人生とは「学びの場所」であるので、そういう作用があるのですね。そして人間は勝手なもので「良い人生はウエルカム」なのに「嫌な人生」は「来るな寄るな」とやります。それこそ自分のように逃げもするわけです。これでは課題である学びが「追っかけてくる」のは当然ですし、元々それは自分に在るものですから、逃げても変えても出てくるのは当然という事です。そして自分が人生の後半で「嫌と言う程味わった苦難の時期」は「絶対克服しろよ」の表れだったということですね。
勿論その苦難の時期はそれだけの内容ではありませんでしたが、大きく見ればそう言うことですかね。勉強が嫌で逃げ回っていたのを捕まって無理やりやらされたみたいな。
もう、それは嫌で嫌でね。ですが、逃げないでやった結果「ああ、なるほど」とわかった。つまり他人様が「苦難に遭っても逃げないで克服する姿」はこれだったのかと。
そしてそれだけでなくこの苦難を乗り越えることで改善や成長をするので、よりよい自分が得られるということでして、それの顕れの表現としての言葉が「ピンチはチャンス」というのだと判ったんですね。
ここまで聞いても「そんなのは美化だ」とか「表現の差だけだ」という方は未経験者なのでしょう。かつても自分もそうでしたからね。ですが、実際逃げられないで対応する・経験するしかないとその先で知るのがこの「苦難はいじめじゃない」です。
自分は今まで神様とかが意地悪をして自分に苦難と言うものを与えたと思っていた。本気でそう思っていたんですよね。ですが、そうではない。これは経験をしないと判らないでしょうね。
そういうと「何、インテリぶって言ってんのよ」と言われるでしょうが、違います。むしろチキン野郎で逃げてばかりの人間が追い詰められて強制で嫌なことをやらされて、その上で言っているのですけどね。
そしてピンチになった際に逃げずに立ち向かうと契機が見えてくることがあります。これがいわゆる「チャンス」ですね。そしてそれを成し遂げると「クリアした」又は「克服した」となるわけです。そして克服した後は再びそういった事項が現れないか、もしくは現れたとしてもクリアする方法を知っているので動じない。又は再び克服してしまうので以前より恐れることもなくなります。だから逃げない方が得策なのです。
そしてこれを表した言葉がキリスト教にある「神は試練を与えたもう」と言うやつですね。ちなみに自分はこの言葉大嫌いです。意味は「神は克服できない課題(試練)は与えないし、何で与えるかというとそれはそれを超えたら貴方は成長するよ、ということで与えられる」というのですが、それがそもそも好きで無い。
自分がおバカで招いたことで発生する試練ならまだしも、何で神様からそういう意地悪に見える「課題」をやらなきゃいけないの?と思うんですよね。だから凄く嫌いだった。
ですが、スピリチュアルを学び尚且つ自分で苦難の時期を強制で経験したら「あ、そうか」と気がついた。意味がわかったんですね。やはり自分が思った通り、神が試練を与える、ではなくて自分がやらなければいけない課題を人生上で体験し克服することで自分が強く成ったりレベルが上がる仕組みだったんですね。だから自分のように逃げの人生の人はどこか弱く脆い。一方、逃げずに戦う・向き合う人は結構強いのがあるのがそこだったと。
だからその苦難の最中は非常に嫌でしたが、終わってみると「凄く勉強になった」と感謝しきりです。そして「ピンチはチャンスだ」と言う意味も「神は試練を与える」というのも理解できたんですね。
だから人生は理不尽だとか差別があるとかですが、ちゃんと理由があって成り立っている。本当に良くできているなあと思う。理解ができるようになるんですね。これは本当に意外でしたね。
だから自分は特に「何でこの世には苦難なんてものがあるんだ」と憤っていましたが、ちゃんと理由がある。そこを理解すればなんてことはない。苦もまた「楽」であると判るからです。まあ、ここまで来るのに大分人生時間を浪費してしまいましたけどね。
それでもね、それれを知らないまま寿命を終えるのはもったいない事です。生きているうちに。できれば若いうちに早くそれを知り、学びを得ることです。そうすると苦難は恐怖や脅威ではなくなる。多少の嫌気はあるものの、よほどのものでない限り命を失うものは無いし、大抵はクリアできるものが多いです。ただ「やりたくない」「面白くないだけ」です。
それこそ苦難が多いと故アントニオ猪木さんのように「かかってこい」と苦難ハイのように成れば無敵ですがね。普通の人はそこまで行かないしね。でも、自分もあまりの苦難の長さに「キレたこと」はありますね。本当に最後の方でしたが苦難が長すぎてキレた。いわゆる猪木イズムのような感じで挑んだ。すると何と克服出来て笑っちゃった。キレて克服ってないですからね、中々。
でも、それで自分は学びましたね。ああ、こういう克服法もあるのかと。瓢箪から駒みたいなものでしたが、本当に笑った。だからそれも含めて「人生って面白いなあ」と思いましたね。
だからと言っていつもキレては困りものですが、頑張って頑張って最後にキレたのは良かったかなと。今でもそう思います。
キレることが克服法ではないですからね。
なので人によってパターンも違うし内容も種類も違うんです。だから挑み方や講じ方もあるでしょうが、それを考え工夫して挑む。挑戦する、と言っても良いでしょうね。そうして課題を克服して「コンプリート」すれば、人生が変わるというか変化します。あれほど悩ませていた苦しみがウソのように消えるとか変わってしまうのをみると、まるで「魔法か?夢か?」と思う程です。だから、面白いんですね。
だからタイトルが「苦難の最中は学びのチャンス」としたのがそれです。
自分としては苦しみから脱出したくて「もがいただけ」です。当時はスピリも相談者も友人も居なくて、ただひたすら我慢大会を長年やらされた。
いろんな案や計画を立てるがあまり上手く行かず、本当に人生が嫌になった。ですが、自死もできず耐えるのがメインでした。でも、それが良かった。考えろ。真剣に模索し行動しろ。そして自分の欠点を直しながら生きて行くことを経験させられた。そしてそこから得たのが「反省と感謝」ですね。そしてそれを軸に我慢しながら耐えた。また学んだ。
するとある時期に来たら「もう我慢大会終了です」の時期が来てようやく解放された。それが今から3年前の2023年で還暦が近い時期でした。そして計画を立て還暦半年前にリタイヤ生活をしてそれから「ほぼ人生での完全自由な環境」を得たのですね。
皆さんが自分と同じコースや状態になるわけではありませんが、皆さんの望む夢や希望などの世界を実現出来たらどんなに良いか。そう思いませんか? できるだけ世の中のしがらみやルールに縛られず、楽しみと喜びに満ちた世界。それを成すためには多少の努力や苦難は屁でもないでしょう?
なので、それを実現するために努力や工夫が必要なのです。そのお手伝いや知るきっかけを掴む促しの人間が「自分ではないか」と思って動き出した次第です。
ぜひ、皆さんもそういう事を念頭に日々大変ではありますが、自分の人生を良いものへ変えるように励んでみてはいかがでしょうか?
それでは。また。