本を読んで

『凪良ゆうさん』に興味を持ち

 

その後

何冊か読んだほど

 

読みやすくて、ぐいぐいと引き込まれる感じ

 

 

原作を読んだ後に、映像を観ると

どうしても

残念な気になってしまうことが多いので

この流浪の月 映画を観ようか迷う頃

 

Amazonプライムではレンタル版しかなくて

 

 

思う存分、迷えた

 

 

いつかフリーで観られるようになる頃には決められるはず、と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

本を読んでから少し時間が経っているのもあり

 

いい具合に忘れてるのかしら?

 

という感覚になったのは

 

映画を観ている時に感じる感覚やらが

本を読んでいた時のものと

少し違う感じがして

 

本の世界は

想像の中で作られていることを

改めて認識させられた

 

 

 

家で、サブスクで観る映画やドラマは

どうしても

ながら見が多い

 

時間も細切れだったりするけれど

 

ながら見の場合には

しっかり画面を見ていないけど

音だけで流してしまうことも多い

 

そんな中で

流浪の月は、画面が見れない時には一時停止し

なるべく

画面を見ようとした

 

 

表情から汲み取る感情って

想像力

 

俳優さんって、すごいなーと思ったりしながら

 

ドアップになった桃李さんの表情を見てました

 

 

 

血まみれのまま

街を彷徨う姿

 

すれ違う人たちは振り返る

 

そんな状況で

血まみれの本人は、周りの目なんか気にしていない

 

血まみれじゃなくても

そもそも気にしていないのかもしれないけど

 

 

そのシーンを観て

ふと思い出す

 

常に社会に溶け込もうとしてきた私だけど

 

そんなことすら思いつかないほど

自分の世界にいた時のこと

 

 

一般的には

かわいそうな人、と思われる状況かもだけど

 

私自身は

かわいそう、とは思っていなかった

 

その状況の中で

自分が納得する選択肢を選べていたから

満足、というか

 

わりと満たされた感覚

 

 

そりゃぁ周りの人の状況と比べてみれば

心地よい環境とは言えないんだろうけど

 

そんなことに不満を持ったところで

何も変わらない

 

 

あの時の自分

 

好きだなぁ〜って

 

 

 

 

それとは違うかもしれないけど

更紗が言う

 

私、かわいそうな子じゃないよ

 

ってのが

ほっこりしたんだよね

 

 

 

見る人の受け取り方で違う

 

人の感覚なんて、そんなもの

 

 

 

 

本を読みたいけれど、映画になっているものならば

あらすじを知る感覚で

映画を観てみるんだけど

 

やっぱり

視覚からの情報ってのは強すぎちゃって

 

変にショックを受けたりして

ストーリーが入ってこないことも多い

 

少しづつでも本を読もう、と思っている今日この頃

 

本について

深く語れるほど、読み込めてはいないんだろうけど

本っていいね

 

想像を楽しむことは

誰にも邪魔されない

 

自分が心地いい想像が出来るから

残酷な内容でも

読めたりする

 

 

感受性が

どんどん鋭くなってきてる気がしてて

 

これって加齢なのかしら・・・