江戸時代から栄えた東海道五十三次、17番目の宿場町・静岡市清水区興津は駿河湾と山との間を幹線である国道1号線と並行する東海道本線とに沿って挟むように街が続いています。

明治の元老 西園寺公望が晩年を過ごした坐漁荘(明治村に移築したので平成16年新築復元)をはじめ、江戸時代には脇本陣、明治以降は別荘旅館として約400年の歴史を持つ由緒ある旅館(昭和60年廃業、現在は鈴与グループの研修所になっていて、入口付近の一部がギャラリーとして公開されている。) 水口屋を始め、各所に歴史と共に歩んだ家業をミニ博物館として開放していたりと散策するには興味ある町並みです。

臨済宗妙心寺派の寺院として百数十の末寺を持ち天武天皇の時代、蝦夷の侵入に備えての関所・清見関(キヨミガセキ)が設けられて、仏堂が建てられた頃から、様々な歴史的大役を担ってきた清見寺、正式には「巨鼇山 求王院 清見興国禅寺」(こごうさん ぐおういん せいけんこうこくぜんじ)も所在します。足利尊氏から今川家・・・に関係あり、近年には明治天皇・大正天皇もお立ち寄りいただいています。

清見寺の歴史や人物往来に関する話は止めておきます。

 

巨鼇山清見寺



総門

 

石段を上がり総門を潜り跨線橋(橋下は東海道本線)を渡り廻り込めば清見寺仏殿です。

 

 

清見寺 仏殿

 


 

 

 

 

清見寺 鐘楼

 

庭園

 

 

静岡県下の五百羅漢

静岡県下で本来の五百羅漢を拝顔出来るのは浜松市北区引佐町奥山に所在する臨済宗方広寺派総本山の方広寺と清見寺の二か所です。伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅からバスで暫らく行くと私共も寄進できる現代版の羅漢さんとも云える面白い羅漢さんが北条氏と縁が深い願成就院と云う寺院に在ります。

また、伊豆西海岸・仁科から仁科峠に向かうと照嶺山東福寺が在り、本堂の天井には漆喰画の五百羅漢を拝する事が出来るようですがこの寺院は訪問していません。

 

羅漢とは、仏教の阿羅漢(あらはん)と言うサンスクリット語に由来すると言う。

羅漢は釈迦の弟子として既にこの世に居ない釈迦の残した法を求め、それを悟った者として人々に信仰されている聖者の事を言い・・・・十六羅漢や五百羅漢と言う言葉が生まれた。

五百羅漢の一人ひとりを拝していると自分の先祖や今は亡き友達や世話になった方々にソックリな羅漢に出会う事が出来ると言う。古くは自分が供養したい亡き人の像を造立して寄進する事から羅漢信仰が盛んになったとの話も聞く。

 

清見寺の五百羅漢

 

清見寺の五百羅漢を訪ねた島崎藤村は

藤村が若き10代の終りを綴った自伝小説「桜の実が熟する時」の最後の部分にも岸本捨吉(藤村自身の事)が羅漢様を見て思うシーンがある事を羅漢の前の立札で紹介されていました。

そんな事を考え乍ら写真をアップしてみました。

 

 

 

 

 

 

※先日の台風15号の影響で庭園の裏山の一部が崩れ、土砂が庭園や建物の一部に流れる被害を被ったようで、現在、境内の各所を復旧作業中で、一般の方々の参拝は制限されているようです。

早期に復旧される事を願っています。

 

巨鼇山清見寺  ご朱印

 

   ご朱印のアップは暫らく続きます。