「而して古代人は、人は各一つの霊魂を有し、その霊魂は或は身体と共に存し(ヴントはこれを一般的身体魂(アルケツスイネ・ケルベルビール)といっている)、又は一時的に身体から去り、離れた所に現れると信じられ、この思想を拡大して行って、土地や、動物や、植物まで、霊魂を有すると考え、更に死によって、霊魂と身体とが永久的に分離する所に、精霊が生ずるのであると信じた。或はこれを価値批判の立場から、精霊の崇高なるものは、土地や、山海や、河川の精霊であって、その最も簡単なるものは、人間や、動物の精霊であって、元の肉体から分離したものであると考えた。精霊は外の生物の中に入って住む事が出来るが、その肉体に属するものとして入っているのではない。実際、霊魂は体と分離し得るとしても、それは生きているうちは、睡眠中における夢の如く一時的のものか、それでなければ死んだ場合に限られるとしていた。こうした思想から導かれて、我国の古代人の世界観は、無数の霊魂と精霊——即ち体を離れた霊魂によって満たされているものと信じていたのである。



然るに我々の遠い祖先である日本人は、魔(デーモン)を発見する以前——若しくは同時に、一種の神聖観念である神秘的の力の信念とも云うべきものを有していた。そしてこれを「いつ」(稜威、厳)という語で現わしていた。而して此の「いつ」の観念は、我国の原始時代の神聖観念の源泉であり、基調であって、神を発見する以前にあっては、専ら此の観念が活いたもので、最近の宗教学、民俗学・乃至社会学者の間において、深甚の研究と、多大の興味を維がれている彼のメラネシヤ民俗の有するマナ(mana)又はイロクオア人(アメリカ・インディアンの一部族)の有するオレンダ(Orenda)、又は支那の「精」(Tsing)(精は気(Khi)の中に示現して、生物を発生せしめる意)と同じようなものを有していた〔七〕。」




「現代人は祝詞と云えば、それは概して人が神へ請い祈るために、意のあるところを申し上げるものとばかり考えているようである。実際、現行の祝詞なるものは、此の用意の下に作られ、人が神へ祈願するだけの目的しか有っていぬのである。併しながら、かかる祝詞観は、其の発生的方面を全く没却したものであって、祝詞の最初の使命は、これと反対に、専ら神が意のあるところを人に告げ知らせるために発生したのである。即ち祝詞(ノリト)の原意は詔事(ノリコト)であるから、その語意より見るも、このことは会得されるのである。『竜田風神祭』の祝詞の一節に、



天の下の公民の作れる物を、草の片葉に至るまで成したまはぬこと、一年二年にあらず、歳間無く備へる故に、百の物知り人等の卜事に出でむ〔一〕。神の御心は、此神と白せと仰せたまひき。此を物知り人等の卜事を以て卜へども、出ずる神の御心も無しと白すと聞しめして、皇御孫命詔(ノ)りたまはく、神等をば、天社国社と忘るる事なく遺(オ)つる事なく、称辞竟へ奉ると思ほしめすを、誰ぞの神ぞ、天の下の公民の作りと作る物を成したまはず、傷(ソコナ)へる神等は、我御心ぞと、悟(サト)し奉れと誓(ウケ)ひたまひき。是を以て皇御孫命の大御夢に悟し奉らん、天の下の公民の作りと作る物を、悪しき風荒き水に遭はせつつ成したまはず傷へるは、我御名は、天の御柱の命国の御柱の命と、御名は悟(サト)し奉りて云々。


とあるのは、よく祝詞の発生的事象を尽しているのである。


更に詳言すれば、祝詞なるものは、神が人に対して、積極的に、これこれの事をして祭れとか、又は消極的に、これこれの事はするなと誨えたことが、これの起原となっているのである。而して此の意義を理解し易いよう、祝詞のうちから例証を覓めて具体的に言えば、前者の例としては「遷却崇神祭」の祝詞に、


進る幣帛は、明妙照妙和妙荒妙に備へ奉りて、見明むる物と鏡、翫ぶ物と玉、射放つ物と弓矢、打ち断る物と太刀、馳せ出づる物と御馬。


その他種々の幣帛を横山の如く置き足らわして祭ったのがそれであって、後者の例としては「道饗祭」の祝詞に、

根国底国より麁(アラ)び疎び来む物に、相率り相口会する事無くて、下行かば下を守り、上往かば上を守り、夜の守り日の守りに、守り奉り斎い奉れ。

とあるのがそれである。従って祝詞は、古い物になるほど宣命体となっているが、然もその宣命の一段と古いところに溯ると、託宣となっているのである。而してその託宣は概して神の憑(ヨ)り代(シロ)である巫女の口を藉りて発せられるのである。

古代人は神意を伺う方法を幾種類が発明し工夫して所持していたが、その中で祝詞に最も関係の深いものを挙げれば、託宣である。勿論、此の託宣のうちには、既記の如く、呪言も、呪文も、更に呪術的分子も、多量に含まれているが、託宣は直ちに神の声であり、神の語である。「欽明紀」十六年春二月の条に『天皇命神祇伯、敬受策於神祇、祝者迺託神語報曰』云々とあるのは、祝者──即ち巫女(祝はハフリと訓むとは後章に述べる)が神語を託宣したものである。「万葉集」巻十九に『注の江に斎(イツ)く祝(ハフリ)が神語(カミゴト)と、行くとも来とも船は早けむ。』とあるのや、同集巻四の長歌の一節は『天地の神辞よせて、敷妙の衣手かへて、おの妻と頼める今宵』などを始めとして、書紀・万葉に多く散見するところである。 」



「日本巫女史」 中山太郎著



http://docs.miko.org/index.php/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2



以下の写真が興味深い・・・

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/explain/column/miko/book/hujyosi/hujyosis.htm


以下のブログも赴き深いです。


http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/cat20108322/index.html


こういった民俗学的研究の成果を材に取り「妖怪ハンター」という漫画にした諸星大二郎。

手塚治虫をして「俺には描けん。」と言わしめた才能。

そんな漫画を読んだからか?

古代の日本はどんな人々がどんな風に暮していたのだろうか?

なんてことを時折考えます。


(-∧-)合掌・・・