僕が1994年から一年ほどお世話になったアルコール依存の施設で一緒にいた仲間から電話。


首を括って仲間が死んだとの話とその仲間と昨夜飲んでしまったという仲間の話。


自分にとっては、親の世代ほどの仲間が多い。


電話をくれた仲間は母と同じ昭和16年生まれだ。


仲間が未だ通う施設の話も相変わらずでアルコール依存という業病や生い立ちに関わる問題=AC=アダルトチルドレンの問題なんかを思う。


首をくくり死んだ仲間は、父と同じくらいで70歳前後のはずだ。


夕張出身で炭鉱などで働いた在日の人のはず・・・・奇しくも僕は明日夕張に行く用事がある。


周囲には隠していたがハングルを書いていたことやアンモナイトの化石を川に取りに行くのが楽しみだった話などがこの仲間の思い出だ。


この14年ほどの間で同じ施設にいた仲間が10人以上が鬼籍に入る・・・人数も定かでないが・・・・電話の仲間の話では12~15人ほど


最近では誰が生きてるか死んでるか定かでない部分もある。


金を貸したり、迷惑をかけられたり、骨を拾いに行ったり、様々な仲間の生と死を思い出す。


同じアパートで何人かが自殺している話なども出る・・・数えてみると5人ほど死んでいる。


とりあえず、電話をくれた仲間は、10年以上酒を辞めているので気は動転しても大丈夫だと思う。


修羅そのもののアルコール関連の施設の話を結構長く聞く。


孤立している人の状況や酒を飲んでいる人の状況は更に過酷だ。


焼死、凍死、栄養失調、事故死、ガン、自殺・・・死因は様々だがその根底には生育環境より抱える人間関係の問題があり一様に孤立死を迎える。


アルコール依存やギャンブリングに薬物の問題は、世界中に広まりとめどない。


先日の大阪の個室ビデオ店放火犯も同病と思われる。

古典的な病気とは言え豊かさの代価とも言える病気だ。


経済人や政治家や官僚などにもこの問題を抱える人は多い。


業病という名がふさわしい。


十年以上ぶりに一緒に酒を飲み目が覚めたら仲間が首をくくり、警察から事情聴取を受けたパニック状態の仲間の話を数時間聞きつつ様々なことが想起する。


搾取的なギャンブリングそのものの経済システムやとめどない経済界や政治家や官僚の腐敗の進行の数々もやはり業病としか言いようも無く。


行き着くところまで行くしか無さそうだ。


まるで世界が自らの首をくくるように・・・・・・・


我々の腐敗の反映としての環境破壊でもあろうし・・・


緩慢な自殺行為を続ける仲間と世界。


自分にしたところで出来ることは、わが身のケアーと細々とした福祉家業に過ぎない。


とことんまでこの世界と人間精神を見据えようというわずかな覚悟があるに過ぎない。


仲間の死を見るたびに聞くたびに死は安息への切符だと思う。


生きてる間に苛まされた様々なこの世の労苦から解放されるのだから・・・


業病による様々な死に立ち会うことで僕は僕でこの世での生は、自らの修行と巡礼の旅だと思うようになった。


トラピスト修道院に入った仲間も2人ほどいると今日聞いて驚きつつも納得する。


僕と似たような心境なのだろう。


首をくくって彼岸に去った仲間の冥福を祈願しつつ


やけに様々なことを考えさせられたり思い出させる休日となった。



(-∧-)合掌・・・安らかに・・・・