昨日は珍しい人から電話があって。
色々と考えさせられる。
酒乱の父親と暴力を受ける母親と子供
そんな家庭で大きくなり
高校を卒業後工員として働き。
一念発起して教師を目指す。
通信制の大学を卒業する為に日雇いの仕事などしながら勉強を続け教師になったのは38歳。
採用試験にも合格し担任を持つ頃に学級崩壊を起こし。
うつ状態になり休職
精神科に通う
復職後、障害者学級を受け持つ
荒んだ家庭で育ったこの先生は学校での思い出が懐かしく。
教師になることを決意。学校の先生や級友に優しくされた経験が生きる糧だったのだ。
教師になって一気に自分自身の人間関係の問題に直面する
復職後、障害児学級を受け持ち、今また新たな壁に直面する。
教育現場の余裕の無さや大変さだけが伝わってくる。
学級崩壊を起こした先生の話も随分聞いた。
小学生なら子供達を椅子に座らすだけ半年かかったとか。
給食で好き嫌いが激しい事を親に告げれば「それは学校で指導してください」
厳しくすると今度は注文が親から来たり。「我が家は子供を自由に育ててますので先生もわが子を自由に導いてください」などなど・・・・
職員室での教師間のいじめの話も良く聞く。
「うちの子ピーマン食べられないので学校で食べられるようにしてください。」
僕の職場に集う精神障害の面々はいじめを体験した人が圧倒的に多く。
いじめの話も相当聞いた。陰惨、陰険、ああこれじゃ自殺もするわなあ。と聞きながら何回も思う。
学校という存在が時折頭をもたげては自身の体験と重ねあわせれば。
自分は恵まれていたのだなと思う。良い先生や友達に出会えたのだから。
冒頭の先生の話にも戻れば、現在は50歳、教育費カットの影響で一時期騒がれたM教師もどんどん職場から追い払われ。
公務員バッシング吹き荒れるこの国で教育現場に吹き荒れる風も強く冷たい。
学級崩壊を起こしたとか精神科に通ったとかそんなうわさが転任後も地域に流れ。
担任を持つ事に反対する親の会、職場復帰しても病気が再発する先生。
xxx菌とか子供達にいじめられ、職員室でも冷遇される先生
こんな経緯の結果で学校を去った先生も居る。
職員室でもいじめがあるのだから教室でいじめがあるのは当たり前だという現場の先生の話も聞く。
現場の現役の先生達も残業残業で大変だ。ストレスの多い職場ほど精神病の発病率も高い。
自分の事しか考えれら無くなる状況この国の隅々に広がっているのかも知れないなあなどとぼんやり思う。
幼い頃からストレスにさらされることでストレスに満ちた社会に適応を強いられる
そこから零れ落ちる事の恐怖心や不安感を植えつけられつつ。
昨日の電話でつくずく感じた事。
そんな教育現場で良い先生になろうと休みの日は研修に自腹で通いここ数年物凄い努力を重ねた先生がボヤク。
「どれだけ努力してもかなわない。当たり前に育った先生たちとの能力の差は歴然。自分の年齢ならみんな管理職だし、人間関係の問題が何より自分にとって大きいと・・・・」
愚痴などあまりこぼさぬ先生が珍しく愚痴をこぼす「アト10年退職まで勤まるだろうか?」などと
「だけど工場で働いたり肉体労働しながら先生になった経験こそ貴重じゃあないですか?そんな経験を素直に伝える先生になったらいいですよ!!
みんがみんな勉強が出来るわけじゃないのだし、子供達は将来色々な仕事に就くのだし、だとしたら先生の人生そのものが貴重な教科書みたいなもんじゃないですか?」と僕など思うので率直に伝える。
知識を詰め込む事だけじゃ教育じゃないだろうし。
人間の嫌らしい所は、どこの学校を卒業したとか、生い立ちがどうだとか、ルックスがどうだとか、その人の付随する属性でしか判断しレッテルを貼ろうとするのだよなあ。
先生の出身校での差別意識は職員室にも親の中にもあり。通信出の先生というの相当少ないらしい。
そんな苦労を重ねながらの教員生活
生い立ちの影響より人との関係を結べず、未だに苦しむ先生
逆風の中でよくやってるようなあとホトホト感心する。
問題のある子供や先生を切り捨てる学校というシステム
まあ、社会の縮図だよなあと思いつつ
そんな零れ落ちた人々が自分の職場に通う。
ポツリ、ポツリと。
問題児集団の我が職場と問題を抱える先生
誰にだって問題はある
なのに何故?といつも思う
みんなで共有したり共感したりで育みあえればいいのになあ。
人間の抱える問題にこそ最も人間らしさがあるのになあ。
などと門外漢はボンヤリと考え。
もったいないなあ。と思う。
どうせ生きるのなら。
もっとみんなが幸せに生きる道があると思う。