「母が我慢すると、
周り(特に子ども)を巻き込んで
不幸アピールしちゃう」 件について
不登校の子を持つママを幸せにする
心屋認定カウンセラー いとしま ももこ(もも)です
今日は、わたしの過去シリーズその②です
今から45年前、
予定日より三か月早く、
未熟児として 生まれたわたし
出生体重は1100g
当時は、生死の境をさまようレベル
この子は三か月、生きられないかもしれない、
生きられたとしても障がいが残る可能性が高い
と、医師に言われた母は・・・
母 「障がいが残るなら、治療はしないで」
って・・言ったらしい。
ていうか
わたしの結婚が決まって
両家の
初顔合わせの場で、
その話題出す?
その時は
あはははは・・・よかったね~
わたしが元気に育って
って返事したけど あとから、
あれはないわ~~って思った
そして、
これを書いていて気づいたけど、
あれは 母の
わたし大変だったのよアピール だったんだ
わたし、(大好きな)子どもに
そんな事を思っちゃうくらいに
日々大変だったのよ!!!
って事をわかってもらいたかったんだ(たぶん)
死なないようにわたしを育ててくれたのだし
子どもの目から見ても
母は我慢の人生だった
父が奔放な人だったので
生活を支えるため
早朝から深夜まで仕事
自営業の店をしながら 子育て
(岡山在住:実家は父母とも九州、頼れるような関係ではなかった)
我慢しすぎて
喜怒哀楽 皆無。
無表情 無関心 (のように見えた)
母が感情的になったところを見た事がない
いつも無表情に淡々と作業をこなす
当時は
子どもに関心ないんだなぁ
愛情あるのかな?この人・・・
って感じていたけれど、
だけど あれが 最大限
その当時できる 母の精一杯の愛だったんだ
と 今は そう感じる
しかも、40代に脳梗塞で倒れた母。
病気の後遺症で左半身不随になり、
現在、身体障碍者手帳を持っている
母自身が身体障がい者になったあとの
「障がいが残るなら治療はしないでってお願いしたのよー」発言で
(想像だけれど) 母が自分に対して
生きる価値ないって思っていたんだろう
母が倒れた時、
病室で「死にたい」っていう母に
わたしは何もできなかった
何度も「死にたい」っていう母に
今にも 死にそうな母を見て
「悲しい」と思えない
「死なないで」も言えない
冷たい自分にびっくりした
「悲しい」と思えないほどに
「死なないで」とお願いできないくらいに
わたしも我慢して
感情を感じないようにしてただけなのかも知れない
そんな過去
まとまらないけど おわる
読んでくれて
つながってくれて ありがとう。
もも
お知らせ
ZOOMにて
ゆっきーの&ももの
子育ておしゃべり会します
ゆっきーのはダウン症の子を持つ3児ママ
もも(わたし)は不登校の子を持つ4児ママ
こんな方へ
・子どもが不登校
・子どもが障がい児
・子どもについて悩んでいる
・子どもがかわいいと思えない
・お母さんやめたい
・親の事が嫌い
・自分の事が嫌い
・わたしなんて・・とすぐ思う
・家事が嫌い
・育児が嫌い
・やりたい事がわからない
・自分の気持ちがわからない
2/13(木)10:30~13:30 (自由入室・退室OK)
参加費 無料
場所 オンライン(ZOOM使用)
簡単な操作でスマホからご参加できます!