純日本人の皆さんに『差別』の概念は無いと思う。
そもそも我が国は単一民族国家であり、単一文化を成熟させてきた。
移民は無くはなかったが、至極少数であり、また、少なくとも我が国の文化を尊重し、我が国を好きな者が移住した。
そんな我が国で、朝鮮人や韓国人、中国人のように『日本人を支配』する意図を持っている移民を大量に受け入れたのは70年前の敗戦以降であり、その粗暴さにより私達日本人は朝鮮人を毛嫌いしている。
『差別』という感覚ではなく、毛嫌いしているのが日本人の正直な感情だと思う。

我が国には民族差別が無い。
それは島国であり、他民族が大量に移住する事を経験していないからだ。
よって民族差別の概念は無い。

更に我が国には階級差別も無い。
諸外国では支配者が民を支配する。
貴族と労働者は別物であり、支配者は民を差別する。
どこの国でも同じだ。
我が国だけが違う。
工場の社員食堂で工場長も主任もチーフも工員、作業員も共に食事をする。
これだけでも外国人は驚愕してしまう。
階級による差別も無いのだ。

たとえば武士が農民を支配した印象があるのなら、それは違う。
武士は自分達の国が平穏で栄えるように政を行った。
自分達の国に暮らす百姓や商人がのほほんと平穏に暮らせるように骨身を削った。
百姓の側にも支配されている感覚は無い。

村を束ねる地主は全ての百姓が平穏に暮らせるように心を砕いた。
自然災害に襲われれば、村を挙げて一致団結して耐えた。

かような私達日本人に『差別』の感覚はどうしても持てない。

ところで私達日本京津会を差別団体、差別主義者、レイシスト、ヘイト団体、私達の言論をヘイトスピーチなどと呼ぶ一部の集団がある。
そもそも「差別」という言葉を使う時点で、その者達は日本人ではない。
明らかにチョーセンジンだ。
何故なら日本人に差別の概念が無く、日本人には意味が理解できないし、ましてやカタカナ表記でレイシストだとかヘイトだとか言われても何の事だかさっぱり理解できない。
チョーセンジンの概念だ。
私達日本人はチョーセンジンを毛嫌いしている、気色悪いと感じている、嫌い、気持ち悪い、ただそれだけだ。
それらを「サベツ」と言って、私達日本人の素直な感情さえ否定しようと試みるのだとしたら、「お前等、何様やねん」としか思わない。
益々嫌い、それだけだ。
そして度が過ぎれば怒りを覚えるし、それは益々強くなる。
互いに平穏を願う日本人として、自然な感情を抑え込まれようとする者がいれば、その者に対して抱く至極自然な感情だ。

去る9月10日の京都新聞に「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」「対レイシスト行動集団」「ヘイトスピーチを行う団体」との文字が躍った。
この記事を書いた笹井勇佑記者がもしも意味が理解できるのだとしたらチョーセンジンという事になろうし、またこの記事を掲載した京都新聞自体がチョーセン新聞という事になる。
純日本人には解せない言葉であり概念を掲載しているからだ。
記事内にある対レイシスト行動集団メンバーと言う伊藤健一郎34歳(立命館大学院生)がチョーセンジンである事は強く疑われる。
純日本人には理解不能な言葉と概念を持っている者だからだ。

チョーセンジンには独自のチョーセン用語がある。
それは純日本人には理解できない。
そういうチョーセン用語を好んで使う者は日本人にとって気持ち悪いし、強い嫌悪感を抱く。
関わりたくないし、できれば国外に追放したいし、国内に留まると言い張るなら隔離するべきだとさえ感じる。
その思いは日本国内に暮らし、我が国の伝統、文化を守ろうとしている純日本人の総意だと思う。

私達日本人に差別は理解できないし、ヘイトも理解できない。
互いを尊重し合う民族なのだ。
それでもチョーセンジンに対して気持ち悪い、嫌い、何で隔離しないのか、強制的に国外退去させないのか、安心して暮らせない、そういう思いは日本人の総意としてあると思う。

我が国国内で勝手に「サベツ」「ヘイト」「レイシスト」みたいな造語を作るな。
そういう事をするから私達日本人はチョーセンジンが益々嫌いになる。

参考までに伊藤健一郎が18分30秒に登場する動画のリンクを貼ります。
京都市在住の皆さんは観察程度にでも顔を覚えておかれるとよろしいかと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=9uLabdcNBMo