予定管理は仕事の命綱ですし、生活や活動面でも命綱です。
毎日、動きがあるものなので、当然に毎日、更新していかないといけません。
それが何と丸1カ月放置。
帳簿管理、私の仕事ではお金の動きも基本、毎日あるものなので、帳簿入力も日課です。
ついでに言えばこうして書いているブログ記事は言わば日記的な側面もあり、ネット上に留めず、プリントアウトして綴じていますが、これも丸1カ月放置。

今日、ようやく予定管理のみ回復したので上記の放置期間が分かったのですが、暑さと過労で完全に気力がぶっ飛んでいたという事です。

それでも人前に出るといつもと変わり無く見せる自分がいて、周りの誰も気付いていなかったと確信します。
仕事関係はさすがに影響が出ますから、相当に信用を失墜したと思いますが、それ以外のお付き合いではいつもと変わらない自分がいたはずです。

案じないようにお願いします。
私の仕事は極めて特殊ですから、そうそう代わりの人がおらず、一たび失った信用であっても今後の働きで回復できるものです。
むしろ永遠に動画記録に残る街頭活動の内容がイケていたのかどうか、そっちを案じるところです。

相当に意識が清明になりつつあります。
お会いしてお話ししている方には落ち度は無かったはずですが、電話、メール、メッセージでやり取りしないといけない方とは音信不通状態になっていましたから、或いは信用を失ったでしょうか。
もう今は大丈夫です。
近日中にご連絡申し上げます。

今日はジェリーさんの企画である大阪・難波高島屋前での『靖国神社、護国神社に参拝しましょう』街宣です。
ジェリーさんは来ませんが、ジェリーさんの思いを尊皇隊で引き継ぎ活動いたします。

先般も述べましたが、私達日本京津会が連携しているのは尊皇隊とジェリーさんだけです。
行動する保守活動さんからはまだ、日本京津会は一人前とは認めてもらえていないと理解しています。

さて、『靖国神社、護国神社に参拝しましょう』。
その主旨の街宣を控えて思うところがあります。
『戦争は悪い事だ』という今の風潮に対して、オイオイ、コラコラです。

我が国が行う戦争は、国家としての防衛が主目的です。
戦争は嫌だと言い、日露戦争を否定すれば、我が国の存立は無く、ロシア帝国に呑み込まれ、日本人は白人の奴隷に堕ちていたでしょう。
今日の繁栄も、日本文化の継承も、日露戦争を戦い、それに勝利した事で途絶えず、尊厳を保ちつつ現代に日本という国家と、日本の文化を今に残しました。
血を流し、戦争した軍人さんのおかげです。
戦争していなければ既に日本はありません。

第2次世界大戦で我が国はアメリカを初め、イギリス軍、オランダ軍と戦争しました。
「戦争は嫌だ」と言っていたなら、今頃は日本は共産主義国家となり、日本としての体裁を為していません。
多くの犠牲者を出したのは事実ですが、戦争したからこそ我が国の国体は守られ、今日の繁栄を実現しています。

今は中国共産党が我が国を呑み込もうとしています。
ここで「戦争が嫌だ」、「戦争は悪い事だ」と言えば、我が国は中国共産党政府の一部となり、我が国の文化も伝統も途絶え、更には皇室も失います。

「戦争を美化する」という言い方があります。
戦争は決して美しいものではなく、残虐であり非道なものです。
それは確かに日本人の美学にも反します。
ですが戦争を否定して、戦争をしないとしたら、我が国は滅亡し、中国共産党政府の独裁政治の中に埋もれ、ひたすら虐殺、強姦の限りを尽くされる民族となります。
人間としての尊厳など無くなるのです。
国家を守る戦争、血を流して戦う事は醜悪な行為ではなく、後世に和を尊ぶ日本文化を伝える崇高な行為に他なりません。

それを為してきたのが私達の先人であり、靖国神社、護国神社に祀られる英霊の輝かしい功績です。

日本人にとって戦争は仕掛けるもので無く、自分達を守る行為です。
その姿を美しいとは言いませんが、崇高なものに違いありません。

そんな演説ができたらいいなと思っています。

本日、大阪・難波高島屋前で17時から19時までの2時間の街宣です。

私達は経済的協力者のみならず、参加協力いただける方や応援、声援をいただける方を心待ちにしています。
最初は観察だと思います。
是非、私達の街頭活動をご観察ください。
その上で波長が合うと感じていただけたなら、次の段階としてお手伝いを伏してお願い申し上げます。
時間的制約や社会的制約のある方におかれては、せめてもの経済的ご支援をお願い申し上げます。
もちろん、お気持ちだけでのご支援、賛同者、ご声援もありがたく拝受いたします。

来週は8月11日火曜日に大津京駅前で外国人移民政策反対街宣です。

そうしてご観察をいただいてご賛同をいただけるなら、やがて移行するであろうデモ活動にご参集いただきたい所存です。
是非、現場にお運びいただき、観察をいただき、賛同できるか否か、皆さんの心の中で意を決していただきたいと切望いたします。

どんな形であれお仲間になっていただけるなら幸甚至極に存じます。