現在の我が国には約2000万人のザイニチ(大多数は日本国籍)がいて、私達純血日本人と共生していると私は読んでいます。
もしもこの2000万人のザイニチがいない日本社会なら現代はどんな社会なのだろう、それを考えたいと思っています。

私達純血日本人が行っている日本京津会としての街頭活動。
私達はザイニチの存在を意識せずに淡々と訴えたいと思っています。
言わば静かな街頭活動が目的であって、ザイニチと衝突し、騒々しくなる街宣は本望ではありません。

一方で西院という朝鮮部落に赴く事が2カ月に1回あります。
これはあえて朝鮮部落に出向く事によって日本京津会の前にザイニチをあぶり出し、その下劣な正体を皆さんにお知らせしたい思いと、また、ザイニチは大人数だけれども人数が多くて下品で恫喝するのだけれども、純血日本人がビビらなければ、それってちっとも怖くないよと見せたい思いもあります。
そんな西院街宣、ザイニチと対峙する街宣は2カ月に1回だけで、日本京津会は基本、淡々と訴えたいと思っています。

ところが6月28日の西院街宣を挟んで布施に出向いた件、これらは全てが凄まじいザイニチの妨害(カウンター)を招き、非常に騒がしい街宣になりました。
その後の7月7日の彦根街宣、7月14日の大津京街宣、いずれも少数ですがザイニチが出現し、少なくとも大津京は物々しい雰囲気になりました。
私達日本京津会が望む静かな街宣はできていませんでした。(いずれの動画もまだアップされていません。今しばらくお待ちください。)

それが先般7月24日、朝日新聞京都総局前街宣には、ただの1匹のザイニチ妨害者も出現せず、私達日本京津会が本望とする淡々とした街頭活動ができました。
その動画がアップされましたので是非ともご視聴いただきたく思います。 https://www.youtube.com/watch?v=7-L2C-tn9hQ

こうした静かな街宣は動画をアップしましても再生回数は伸びません。
視聴される方にとっては動きがある方が見応えがあるのだと思います。
再生回数は伸びませんが、私達日本京津会が望む街宣のカタチはコレなんです。

そうした内心の吐露と共に訴えたいのは、ザイニチがいなければ日本社会はどれほど温和な社会であるか、という事です。
世の中を騒がせているのは全てザイニチ。
ザイニチさえいなければ日本社会は極めて安心で暮らしやすい社会であると、そう訴えたい思いに駆られます。

ザイニチが1人もいない学校は笑いと温かさに包まれるのでしょう。
ザイニチが1人もいない職場は阿吽の呼吸で仕事が捗る快適なものになるのでしょう。
ザイニチが1人もいない町内は元気な挨拶と快活な声が響く爽やかな地域になるのでしょう。

ザイニチが1人もいない日本社会は凶悪事件が無く、あっても極めて稀で、犯人とその家族や親戚は日本社会から厳しく糾弾され、一方でお互いが信頼し合い、お互いに真心で接し、お互いに感謝し、お互いに譲り合い、お互いに富み、お互いに力を合わせ、お互いに協力し合い、お互いに切磋琢磨し、恨みも妬みもヒガミも無く、鍵を掛ける必要も無く、用心する必要も無く、疑う必要も無く、強者は正々堂々と、弱者はのほほんと暮らせる社会になるのだろうと思うのです。

ザイニチさえいなければ、こんなに淡々とした街宣ができるのです。
これまでの騒々しいザイニチが湧いている動画と、今回の全くザイニチが湧いていない動画を比べてください。
現代の日本社会と、純血日本人が理想とする日本社会、それを端的に見せてくれていると感じます。

ザイニチ妨害者が1匹も湧かない街頭活動、それが日本京津会の理想です。
物足りないかもしれませんが、淡々とした街宣が日本京津会の望む街頭活動です。
そこを何としてもご理解いただいた上で賛同するか否か、支援、応援、声援するか否か、参加するか否かをご判断いただければ幸甚です。

現実には日本社会にザイニチは2000万人程度いて避けては通れませんから私達日本京津会もその時々に応じた活動になりますが、私達の本望がどこにあるか、そこをご理解いただきたいと望みます。

本日は16時から2時間、朝日新聞京都総局前で街頭活動を弁士4名にて行います。
ザイニチ妨害者はゼロと予測します。
ご関心のある方は現場にお越しいただき、是非お声掛けください。
宜しくお願い申し上げます。

尚、当ブログでも参加希望者を受け付けています。
メール、メッセージにてご連絡ください。楽しみにお待ちしております。