東京、大阪、名古屋、福岡。
私の居住地で言えば大阪、京都、神戸。
いずれも、ある意味で誇れる我が国の都市です。
何か催し事を開催すると言えばその多くは大阪市内か京都市内、神戸市内。
人口が多いので志が高い人も、割合は小さくても数は都会に集中しています。
催し事が都市に集中するのも自然だと思います。
で、ですね。
私が常々気になるのがこの都市集中なのです。
これって自然に感じている人が大多数だと思うのですが、でもこれってめっちゃヤバくないでしょうか。

地方から都市に移動する高速道路ができるとか、地方と都市を結ぶ新幹線ができるとか、都市と都市を結ぶリニアモーターカーができるとか。
便利に感じますよね。
確かに便利だと思いますが、で、結局どんな結果になるでしょう。
都市の格が上がり、地方の格が下がり、便利を越えて、人口が都市に集中し続けています。
地方は人口流出が止まりません。
我が国のあり様として、人や文化や産業が都市に集中し、地方の過疎化が進むのは理想的でしょうか、理想的と言わないまでも、我が国のあり様として『いい事』でしょうか。

違いますよね。
国土の隅々に至って山にも谷にも人が住み、集落を形成し、地場産業があり、土地の文化が脈打っているのが理想の姿だと思いますが、我が国の理想的なあり様がどんどん破壊されているように感じるのは私だけでしょうか。

頭脳の流出という面も否定できません。
優秀な人は東京に集中し、大阪は我が国の2軍選手の集合体と捉えるなら、地方に生まれ育った頭脳は地方に残らず都市に流出し、地方はアホの集合体になります。
だとしたら、これ、めちゃくちゃヤバくありませんでしょうか。

かつて合衆国と戦争した折に敵は我が国の都市という都市を空爆し、民間人の大虐殺を行いました。
広島、長崎には原爆を投下して、完全に都市機能を奪いました。
私は香川県の小さな港町・多度津の出身ですが、約30キロも離れた高松が空襲に遭い、その炎は多度津からでも見えたと親父から聞きました。
そして終戦。
6年後に形ばかりの主権回復。

我が国の都市は全て壊滅しています。
核兵器も炸裂させました。
『これで日本が立ち直る事は無いだろう』、合衆国はそう思ったに違いありません。

ところが!
日本人は地方に疎開していました。
帰る場所があったのです。

戦争が終わると疎開先から多くの日本人が都市に戻り復興に着手します。
放射能が恐くない事を知っていた当時の人々は、原爆投下から1カ月後には広島にも長崎にも戻り、復興に着手しました。
結果、焼け野原から瞬く間に世界第2位の経済大国。

我が国は幾度となく白人の度肝を抜いていますが、さすがの白人も、敗戦からここまで短期間で復興し発展するとは大いに度肝を抜かれたに違いありません。

私が合衆国の立場なら策を講じます。
疎開できる地方を疲弊させ、帰る場所を失わせた上で日本人の頭脳を都会に集中させておこう。
日本人から生殖能力を奪う為、主婦という存在を無くして、日本人女性を職場に引き摺り出そう。(ダイエットを常態化させて日本人女性の出産能力を削ごう)
人口と頭脳が集中する都市に反日洗脳教育機関(東大とか京大とか阪大とか)を置き、更には半島人、中国人を日本の都市に集中させて、日本の都市から愛国心を剥ごう。(今はそれを終えて、地方の洗脳を進めている段階で、その勢いは実際に凄まじいと感じます)
日本人が疑っていない日本国憲法の平等の解釈により『1票の格差』という概念を植え付けて、地方から権力を奪おう。
人口が十分に減少し、都市集中が完了した頃合いで、しかも日本人が疑わないタイミングで首都直下型地震と南海トラフ地震を起こして今度こそ日本の国力を根こそぎ奪おう。
広島、長崎に投下した原爆は熱攻撃で終わり、放射能の恐怖の無さを知っていたから、今度は放射能が恐いものだと植え付けておこう。

仮説っちゃー仮説ですが、見事にその仮説通りに我が国は動かされていませんでしょうか。

色々ありますが、今回は地方の活性化を意識して欲しく、書いています。

都市開催は自然な流れだと思いますが、地方開催の護国行事の支援を意識して欲しく思いますし、また地方に在住している人は、都市に出ず、地元での護国啓蒙活動を打っていただきたいと願うものです。

滋賀県や奈良県から京都や大阪に出るのは容易いように交通網が敷かれています。
だから都市開催という方向ではなく、その逆で、地方での開催行事に京都や大阪から応援をしていただく。
例えば北陸新幹線が開通したら富山の人が首都圏に出るのではなく、首都圏の人が富山県の応援に出向く機運作り。
地方の活性化。

この地方の活性化を意識しないと、もしかすると合衆国の罠にまんまとハメられているかもしれないと、そのような考え方のキッカケを提案したく思います。
地方の活性化をしておく事は、国土強靭化の最後の砦を構築する意味さえあるのだと、個人的には思っています。