まあホント、書きたいと言うか、発信したい事は山ほどあるのですが、最後のアメプロ投稿から何と10日間も経ちました。
仕事が忙しい、私生活ででも新たな出会いがあり、また自分を『付き合う相手』として選択していただける人がいる。
そんな状況が『発信』という行為の優先順位を下げた結果です。

少なくとも仕事の忙しさはまだしばらく変わりそうにありませんが、今夜はオフ日前。
早く寝て休めば良さそうなものですが、久々にアメプロに投稿したいと思います。

今般、中国人民解放軍戦闘機がとても分かりやすい行動を取りましたね。
自衛隊機への異常接近、その距離30メートル?

空中の30メートルというのは『体当たり』に等しいですよね。
風が吹けば当たる距離です。
で、何で中国人民解放軍の軍人は自衛隊に対してそういう事をするのか。

我が国の側から見ると「挑発行為」という寝言になるのかもしれませんが、中国に限らず諸外国にとって我が国の自衛隊は?
障子紙みたいなモノです。
自衛隊の性能がいいとか、訓練を積んでいるとか、量が多いとか、それはそれで事実ですが、自衛隊は現行の日本国憲法と我が国の法律に縛られていて、外国の目には全く無力な兵力です。
『天才的だけれども絶対に抵抗しない赤ん坊』、それが現行の日本国憲法に縛られた自衛隊の外国の目に写る姿で、早い話、ナメられ切っているわけです。
日本国憲法に縛られている限り、現実として我が国の自衛隊は外国の目にはヘタレなのです。

外国目線の話ですが、自衛隊を恐いと感じるでしょうか。
赤子ですよ、赤ちゃん。
赤ちゃんが国防を担っているのが日本という国。
そうとしか見えていません。
恐いどころか吹いたら飛ぶ程度の存在でしょうね。

現在、我が国の政治家の議論は『憲法解釈』という寝言として集団的自衛権を語っていますが、諸外国の目には鼻くそ程度の議論です。
要は自衛隊そのものは自国を防衛する行動が取れない事に変わりありません。
破棄!なのですよ、日本国憲法なんか。

で、実際には集団的自衛権程度の茶番的な議論でさえ、我が国の国会にいる朝鮮系議員、韓国系議員、中国系議員の反発に遭ってなかなか前に進みません。
我が国の政治のトップは安倍晋三であり日本人ですが、これは言わば、朝鮮学校で生徒会長を日本人がやっている図です。
無理、無理ってね。

NHKの会長として就任した籾井会長も同じですね。
死ぬ気で頑張っていますよ。
ですが、そもそも国会にしろNHKにしろ、それを構成しているのは朝鮮系、韓国系、中国系の人間なのですから、朝鮮学校に生徒会長として就任しても気の毒な話で、可哀想にさえ思います。

その責任は、『国家』を考えようとしない私達日本人にあるのですけれども、その日本国民というのが実に嘆かわしい。

日本国民の嘆かわしい実情を書き始めるとキリが無いので、国防、自衛隊という観点に絞って今回は書きたいのですが、我が国の自衛隊には世界第2位の軍事力がありながら「絶対に発砲しない」という安心感が諸外国にあります。
これって日本国憲法に縛られているから?
理由はそれだけ?
少しだけ自分達の生活態度を考えて欲しいのです。

日常生活の中で喧嘩ってしますか?
暴言を吐く事はありますか?
暴力を振るう事はありますか?

ありますか?
ありますか?
ありますか?

ないでしょ。

喧嘩もしない、暴言も吐かない、暴力も行使しない、こんな私達日本人こそヘタレそのものではありませんか。

台湾では若者が国会を占拠しましたよ。
ベトナムでは暴力的デモが起きていますよ。

我が国は?
ん?
何かありましたっけ?

言論の自由、表現の自由は結構ですけれども、戦う自由は無いんか?
だとしたら、それ、めちゃくちゃおかしいですがな。

義。
かつては私達日本人が共有していた義を見失い、各々個人の価値観による言動が幅を効かせ、日本人同士の阿吽の呼吸も以心伝心も暗黙の了解も失われ、そうすると我が国の社会を束ねるにはルールやマナーを叫ぶしかなくなり、かくして価値観の異なる多民族国家の諸外国並みに落ちぶれているのが現実だと認識するところです。

義に反する者を諭し、我慢し、協調を計り、尚ダメなら殴っていい。
それは当たり前過ぎる私達日本人の価値観でしたが、どこまで行っても暴力が出て来ない今の我が国の社会はヘタレ集団になっています。

今は亡きいかりや長介が生きていたなら「ダメだ、こりゃ」と嘆いたでしょうし、ASUKAが逮捕されていなければ「殴りに行こうぜ」と歌った事でしょう。

上品な皆様には申し訳ないのですが、我が国の社会に喧嘩、暴言、暴力の復活が無くして、どうして自衛隊が義に反して侵犯する者を撃ち落とせましょうか。

義の精神を思い出して、その上で怠け者や和を乱す者、また義に反する者に対して、諭し、我慢し、その上での家庭内暴力、暴力的体罰、社会での喧嘩は復活させるべきだと強く思うところです。
そうした家庭内暴力、暴力的体罰、社会での喧嘩は日本人同士の感覚として許される、ごもっともだとお互いが納得する、少なくとも解雇や非難の対象にはならない、そういう日本人に戻ってこそ、ようやく1人の日本人として国防、自衛隊を語れる資格を得るのではないのでしょうか。

闇雲に「暴力反対」なんて言わないでください。
義に反する者に対する暴力は我が国の社会をもって肯定すべきだと思うのです。

家庭があるから手を出せない、社会的立場があるから手を出せない、この状態は我が国の社会が病んでいるという証左ではないのでしょうか。
そしてその病んだ我が国の社会がある限り、日本国憲法の放棄は元より、我が国領海、領空を侵犯する外国軍にさえ手出しできない現実が存在し続けるのではないでしょうか。

私達は日本人です。
勇敢で屈強な日本人です。
その記憶は遺伝子の中に眠っているはずです。
そろそろその記憶を蘇らせていい、そんな国際情勢が迫っていると思うところです。

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http://sankei.jp.msn.com/world/news/140525/chn14052519260006-n1.htm

日米監視に“不満”噴出? 憲法に縛られた自衛隊を挑発か