「皇国人民は、高潔であらねばなりません」と、それはもっともなのですが、この思いを周りの人に向けると大いに危険かと思います。
そもそも現代は多くの日本人が過分なお金を持っていて贅沢を常としていますし、教育は韓国側により為され、また発達した情報網から日々報道される内容も完全にアメリカ製又は韓国製という、そんな時代に暮らしています。
人と関わらず、個室にこもって暮らすワケでなく、大なり小なり人付き合いを持って暮らすとなると、堕落した精神状態、思考状態の人々との接触は避けられませんし、その上で人間関係を軽んじないのであれば、特段の自覚無く、自身も堕落して合わせるしかありません。

少なくとも私は自分自身が高潔だとの自信がありません。
自分の胃袋を満たす為に、韓国系の者が訳の分からない物を提供し、それを口にしている時点でアウトです。
また礼節、自分を戒める心といった面でも、とても高潔とは言えないばかりか、そう呼ぶには遠く及ばないと自覚しています。

自分に対する戒めとして「日本人らしく生きよう」とは思いますが、誰かが私に対して日本人らしく生きる事を求めるなら、私はその人から構ってもらえる資格を持ち合わせていません。

「皇国人民は、高潔であらねばなりません」、これは自身に対する戒めとして持つ事はあっても、周りの何人に対しても求めてはならない事だとも思うのです。
どこからどう見ても、またどの面を捉えて見ても「高潔」と呼べる人は限り無く少数ではないかと思われます。
つまりこれを人に向けてしまうと保守の団結を阻害しますし、日本人の結束ができなくなる恐れが強いと思うのです。

時代が時代ですから完全無欠の「高潔」ではなく、むしろ部分的にで構わないから「高潔な部分」を持つ人であれば、手を結び、結束した行動を取るように心掛けませんと、時代に抗うだけの大きなうねりを起こせなくなると危惧するところです。

保守層同士の対抗心が珍しくなく、結果的に分裂、分断しているケースをよく見かけます。
それは仕方無さもあると思います。
だからこそ、極力分断、分裂しないように強く心掛けていく必要があるのだと思います。

まず結束ありきとして、その上で保守同士で議論を戦わせなければなりません。

「高潔」というのは人間性の部類ですが、そうした人間性も含めて、学歴や経済力、年齢層、人の過去、社会的地位等により互いを阻害する事無く、国に関心があるというだけでそれはもう凄い事なのですから、何としても結束して参りたいと思うところです。