先般11月24日に近江八幡文化ホールにて「憲法を考える」というテーマのシンポジウムがありました。
7回目を数える日本再生の会・滋賀(日本再生の会・滋賀東部1主催)です。
今回はその内容についてまとめておこうかと思いますが、個人的にメモした物を基に私の主観により書き起こしますので、会合の全貌をお伝えするものではない事をお断りしておきます。
シンポジウムは現職の国会議員、某政党党首の政策秘書を含む4名の国士によるパネルディスカッションの形で進められました。
冒頭、現在の日本国憲法はアメリカにより与えられたものではなく、アメリカに押し付けられたものであるという認識から始まり、主に政教分離についての意見交換が為されるところとなりました。
日本国憲法が現代の日本社会の諸悪の根源と考える日本人は多いと思いますが、その第一の理由は利己的個人主義=個人の尊厳といったところでしょうか。
国家を思わず、地域を思わず、家庭を思わず、個人の尊厳を尊ぼうという現行憲法の思想は日本社会の破壊を企図したものだと容易に気が付きます。
日本国憲法を土台とする司法府では、例えば非摘出子にも同等の相続権を認めるという、これは最高裁判決ですが、そうした日本の家族の在り方の根底を破壊する暴走を招いています。
選挙における1票の格差問題の捉え方は現行憲法の平等主義という思想を汲むものとして司法府を席巻していますが、これは司法府による恣意的な地方(在日韓国人が少ない日本的な地域)の排斥です。
夫婦の別姓問題というのも存在しますが、これも現行憲法の個人の尊厳という思想から派生するもので、日本の家庭破壊が司法府の主導により為されようとしています。
つまるところ、幽遠なる伝統を持ち、知恵の蓄積の産物である日本社会を守ろうともせず、むしろ次々に破壊していくのが現行憲法であり、その憲法に従う司法府は破壊者そのものと言って過言とはなりません。
更に政教分離という現行憲法の思想により何が起こっているか。
古来より日本社会では、自分が食する前に先ず仏壇や神棚にお供えをし、その上でいただいていましたが、さて現在の日本国民が暮らす家々に仏壇があるでしょうか、神棚があるでしょうか。
それさえ無いのなら、そもそもお供えができません。
政教分離という思想に派生する宗教観の喪失は、日本社会に古来よりあったご先祖様のおかげで自分があるという思想の破壊であり、自分で勝手気ままに生きているという勘違いを蔓延させる根拠となるものです。
先祖を意識せず、個人が勝手気ままに生きるという宗教観の喪失は、家族さえバラバラにする思想です。
こうした企図が現行憲法には組み込まれているのです。
ちなみに宗教に基づかない生活をしているのは共産圏以外では現在の日本だけです。
ここにも現行憲法の恐ろしさ、破壊力の片鱗を見る事が出来ます。
この1点に着目するだけでも、現行憲法の改正、もしくは破棄が求められるところです。
政界での護憲派の一つに公明党があります。
これは与党として自民党と連立を組んでいる政党です。
公明党の反国家的政策には枚挙に暇がありませんが、その一つして宗教教育を教育基本法に組み込ませない政党でもあります。
宗教観を失うと、日本の国家元首たる天皇陛下の根底にある神話を肯定できません。
そんな公明党との連立を自民党は解消すべきで、それは自民党に課せられた喫緊の課題との意見も出ていました。
また先の大戦での敗戦を柱にした戦前の日本社会の否定、戦前の日本社会は悪であったという教育が文部科学省により遂行されている現在の日本教育界ですが、これも根拠になっているのは戦後アメリカに押し付けられた現行憲法です。
かくして現在の学校教育は腐っているとの意見まで出ていました。
このように現行憲法に支配された日本。
極め付けは、現在の日本の最高権力者は最高裁であるという意見でした。
日本再生の会・滋賀の企画・運営の中心である辻様に感謝し、その第7回の概要の紹介とさせていただきます。
7回目を数える日本再生の会・滋賀(日本再生の会・滋賀東部1主催)です。
今回はその内容についてまとめておこうかと思いますが、個人的にメモした物を基に私の主観により書き起こしますので、会合の全貌をお伝えするものではない事をお断りしておきます。
シンポジウムは現職の国会議員、某政党党首の政策秘書を含む4名の国士によるパネルディスカッションの形で進められました。
冒頭、現在の日本国憲法はアメリカにより与えられたものではなく、アメリカに押し付けられたものであるという認識から始まり、主に政教分離についての意見交換が為されるところとなりました。
日本国憲法が現代の日本社会の諸悪の根源と考える日本人は多いと思いますが、その第一の理由は利己的個人主義=個人の尊厳といったところでしょうか。
国家を思わず、地域を思わず、家庭を思わず、個人の尊厳を尊ぼうという現行憲法の思想は日本社会の破壊を企図したものだと容易に気が付きます。
日本国憲法を土台とする司法府では、例えば非摘出子にも同等の相続権を認めるという、これは最高裁判決ですが、そうした日本の家族の在り方の根底を破壊する暴走を招いています。
選挙における1票の格差問題の捉え方は現行憲法の平等主義という思想を汲むものとして司法府を席巻していますが、これは司法府による恣意的な地方(在日韓国人が少ない日本的な地域)の排斥です。
夫婦の別姓問題というのも存在しますが、これも現行憲法の個人の尊厳という思想から派生するもので、日本の家庭破壊が司法府の主導により為されようとしています。
つまるところ、幽遠なる伝統を持ち、知恵の蓄積の産物である日本社会を守ろうともせず、むしろ次々に破壊していくのが現行憲法であり、その憲法に従う司法府は破壊者そのものと言って過言とはなりません。
更に政教分離という現行憲法の思想により何が起こっているか。
古来より日本社会では、自分が食する前に先ず仏壇や神棚にお供えをし、その上でいただいていましたが、さて現在の日本国民が暮らす家々に仏壇があるでしょうか、神棚があるでしょうか。
それさえ無いのなら、そもそもお供えができません。
政教分離という思想に派生する宗教観の喪失は、日本社会に古来よりあったご先祖様のおかげで自分があるという思想の破壊であり、自分で勝手気ままに生きているという勘違いを蔓延させる根拠となるものです。
先祖を意識せず、個人が勝手気ままに生きるという宗教観の喪失は、家族さえバラバラにする思想です。
こうした企図が現行憲法には組み込まれているのです。
ちなみに宗教に基づかない生活をしているのは共産圏以外では現在の日本だけです。
ここにも現行憲法の恐ろしさ、破壊力の片鱗を見る事が出来ます。
この1点に着目するだけでも、現行憲法の改正、もしくは破棄が求められるところです。
政界での護憲派の一つに公明党があります。
これは与党として自民党と連立を組んでいる政党です。
公明党の反国家的政策には枚挙に暇がありませんが、その一つして宗教教育を教育基本法に組み込ませない政党でもあります。
宗教観を失うと、日本の国家元首たる天皇陛下の根底にある神話を肯定できません。
そんな公明党との連立を自民党は解消すべきで、それは自民党に課せられた喫緊の課題との意見も出ていました。
また先の大戦での敗戦を柱にした戦前の日本社会の否定、戦前の日本社会は悪であったという教育が文部科学省により遂行されている現在の日本教育界ですが、これも根拠になっているのは戦後アメリカに押し付けられた現行憲法です。
かくして現在の学校教育は腐っているとの意見まで出ていました。
このように現行憲法に支配された日本。
極め付けは、現在の日本の最高権力者は最高裁であるという意見でした。
日本再生の会・滋賀の企画・運営の中心である辻様に感謝し、その第7回の概要の紹介とさせていただきます。