>先般、主権回復の日のセレモニーがありましたが、主権がない時期に憲法を改正できるとは初耳であります。8月15日革命論??馬鹿も休み休みにしてほしいものです。まじめに日本国憲法について論じるとヤバすぎるから、適当なことを言ってお茶を濁す人が多いのが問題ですね。

師匠。
このようなフェイスブックらしからぬ投稿に「いいね」を押していただけるだけでも、その方々は凄いと思っていますが、こうしてコメントをいただけるというのは、どなた様に限らず、また格別でございます。

さて師匠、安倍総理の功績について少々語らせていただきたく思います。

ほんの4~5年前まで。
つまり民主党が政権を取る前までの戦後60年余りの間は、日本国憲法に疑義を抱く事さえタブーであり、日本に国家主権が無い事に触れるのも完全にタブーでした。

かくして日本人は日本を日本国憲法を土台とする法治国家であり、同時に独立国家であると認識していました。
ほとんど誰も疑問を持ちませんでした。
石原慎太郎が、アメリカ人が日本占領の為に書いた事を理由として日本国憲法の破棄を唱え、にわかに日本国憲法に対する疑義が日本国民に生まれました。
そして安倍晋三は憲法改正を主眼に選挙を戦い、そして勝利しました。
憲法改正、いや日本国憲法の破棄には遠く及ばないものの、日本国民にその機運の芽を植えた功績は私は小さくないと思います。

主権回復の日のセレモニーも然りです。
それまで日本国民は日本が独立国家だと信じて疑わず、国内でのみ通じる「国民主権」という概念だけを教育され、肝心の対外的な国家主権については、その概念すら持たない状態でした。
主権回復の日、洒落てるじゃないですか。
と私は思います。
「主権って何?国民主権じゃないの?国家主権って何?」
日本国民に国家主権の概念を芽生えさせただけでも甚大なる功績だと私は思うのです。

師匠が言われるように、主権回復の日とはちゃんちゃら可笑しい茶番です。
日本国憲法についても、それは日本占領憲法ですから、日本国憲法が存在する限り日本国民は目を背け続けざるを得ない代物であり、お茶を濁す程度にしか触れません。
現状はそれが精一杯ですが、そうする事により日本国民に日本国憲法に対する疑義を抱かせた。
私は安倍晋三が憲法改正を目指しているとは思っていません。
あくまで目指すところは日本国憲法の破棄だと思います。
ですが日本国民の賛同を得ないと何もできないなら、せめて日本国民に日本国憲法に対する疑義を持ってもらう、「憲法改正」という方便を用いてでも日本国民に日本国憲法に対して疑問を持ってもらう、そういう戦略は間違っていないと思うところです。

師匠ほど日本国民は目覚めていない、と言うより、日本国民はほとんど盲目の状態でした。
その日本国民がたとえ一部であっても日本国憲法に疑義を抱き、国家主権の概念に目覚めたとすれば、茶番であれお茶を濁したであれ、この一歩は小さな小さな一歩ですが、意義は大きな大きな一歩だと思うところです。

安倍首相は戦後レジームの脱却と言いつつ、その道の1割、2割のところで寿命を迎えましょう。
一朝一夕に為せる事ではありませんから。
その後に続く政治家や首相を後押しすべく日本国民が目覚めておかないといけません。

皇室はハニートラップに遭い、皇太子殿下が天皇に即位した後の日本人は魂の主軸を失う時期を迎えます。

今も大切ですが、次世代、その次の世代も肝心です。

武藤貴也代議士は、日本を取り戻す最終章に登場すべき政治家ではないでしょうか。
それまでに国民の意識を高めておく必要があります。

安倍晋三首相は日本の独立に向けて最初の一歩を踏み出したに過ぎないと思います。
日本人による日本を取り戻す戦いは幕が開いたばかりです。
ここから武藤代議士に繋ぐまで数十年という戦いになります。
今は茶番であれ、お茶を濁しているであれ、戦いはまだまだこれからです。

最終章の時代に私は生きていないと思いますが、どうかそれまで国民の意識を導くべくご活躍をお願い申し上げます。

100年後の日本の歴史教科書に、戦後から現代に至るまでアメリカの植民地支配を受けていた時代と記され、中間搾取層としてアメリカは在日韓国人及び韓系日本国民を用いて日本を統治していたと記されるよう、真の独立を目指しましょう。
その為に私達にできる事は小さくても、私達の使命は小さくないと思います。