>黙って付いていく大和撫子は 
>聡明な男性に付かんと
>えらい目に遭いますな。

神か仏様にしか付いて行かないとでも?

太宰が言った「恥じの多い人生でした」、俺はこれが男の普遍的な人生観だと思う。

『恥をかこう』と思って『時』を生きる男はいない。
全ての『時』において、最善を尽くすつもりで生きていると思う。
でもその人生を振り返る時、「恥じの多い人生でした」とつぶやく、そういうものだと思う。

『信念を持って生きる』というのは聡明か否かではなく、堂々と胸を張り、人知れず密かに恥を恐れずに生きる事だと思っている。
信念を持って生きるところに過ちが無かろうはずがない、何かに欠落した人間なのだから。
過ちを犯す事、恥をかく事にビビれば、誰もが人の言いなりになるしか無くなる。
でもそれは責任転嫁の用意でしかない、保身の生き方だ。


神か仏にしか付いて行かないと言うなら、それも生き様だ。
尼さんにでもなればいい。
聡明な男にしか付いて行かないというなら、そうすればいい。
今は自由に相手を選べる時代だ。
聡明と思える間だけ付いて行き、腑に落ちない時が来れば、その都度相手を変えればいい。
好きにすればいいと思う。
何度も相手を変える事さえ珍しくない時代だ。
何の遠慮が要るものか。


今の日本では、韓国、北朝鮮、中国、ロシア、アメリカの非道を説く者は必要不可欠。
この状況が変わらない限り、俺は韓国批判を止めないし、その手法は俺のささやかな能力の範囲に限られる。
恥かもしれんが、それでもやる。

そして後になって「恥じの多い人生でした」と、俺は心の中でつぶやくのだ。

これは男の生き様だ。
女に理解してもらおうとは思わない。