昨夜の『国を思う集い』で、もしも「船中八策」を作るならなんてお題が出まして面白い趣向だなと思ったのですが、結局は憲法改正や国軍の保持など、当たり前な国策が提案されるに留まりました。
少し残念。
もっと個性的な、独創的な提案を期待したのですが。

私なら市場原理主義経済の破棄とか、選挙権の剥奪、外国人排斥などを政策として掲げます。

そもそも日本人は命より忠義心を大切にしました。
日本で言う「立派な人」というのは、命を捨てて忠義に生きる人であり、道義心を持つ崇高な人を指して「立派な人」と呼んできました。

今は随分と違ってきていて、自分が一番大切で、一番は自分の命、次に大切な物は金という世の中で、忠義心や道義心は消えてありません。
「立派な人」と呼ばれるのは儲けや富を追って成功した金持ち、資産家ですが、これらは本来は「金の亡者」「下衆」と呼ばれた人達です。

この感覚の変化が経済第一という価値観を生み、人の行動規範は損得で決まるようになりました。

大切な事を民に知らせるのがジャーナリストの仕事ではなく、売れる記事を書く事がジャーナリズムになり、国益の為に働くのが政治家ではなく、利権を追い、金をばら撒き、金に群がる有権者の票を集めるのが政治家の仕事になっています。
手間暇を惜しまず、誇れる物を作るのが職人でしたが、今はより安く、売れる品物を作るのが製造業者の感覚です。

低俗な欧米人が考案し押し付けている自由主義経済、自由貿易。
言葉は綺麗かもしれませんが、なんの。
人を蹴落とす仁義の無い自由な戦いを意味しています。

こんな市場原理主義は日本人の魂に合致しません。
その市場原理主義を疑いも無く受け入れてしまったところに、今日の日本の諸悪の根源があると私は思っています。

市場原理主義を放棄して、日本人の魂を取り戻したいものです。

「武士は食わねど高楊枝」。
そういう武士道は消失し、今は貧乏人はバカにされます。

違います。
日本人の魂はそんな物ではなかったはずです。

自分の金の為に働いている自分自身もいます。
そういう自分自身に強い違和感を感じています。
ですが金の為に働かないと間違いなく餓死します。
こんな世の中は欧米的で、日本としては狂っていると感じています。