別 名:
城地種類:山城
築城年代:15世紀前半、拡張:天文20年(1551)頃、改修:天正年間(1573~92)
築城者 :毛利元就氏
主要城主:毛利氏
遺 構:曲輪、石垣、土塁、堀切
歴 史:毛利氏は、相模・毛利荘の出で、承久の乱で地頭として安芸・吉田荘に入部したとも、建武3年に毛利時親が吉田を領したともいわれる。
郡山城は、毛利時親が建武3年(1336)に築城したのが始まりとされる。また享徳2年(1452)の築城が始まりともいわれる。いずれにしても、そのときの城域は、郡山城の南東麓に位置する小規模なものである。
郡山城の本格的な築城は、毛利元就が大栄3年(1523)に入城してからなされ、天文9年(1540)までに郡山の全山に城域が及ぶ大城郭が築かれた。
元亀2年(1571)に毛利元就が死去した後、家督を継いだ孫の毛利輝元によってさらに拡張・整備がなされた。
天正19年(1591)に、毛利輝元が本拠を広島城に移した後も、郡山城は維持されたようだが、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後に毛利氏が防長に移されたあと、元和2年(1616)に、一国一城令により、郡山城は破却された。
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大河ドラマで「毛利元就」が放送された時に訪れた時と比べたら驚くほどきれいに整備されていました。元就のお墓は前と変わらずでしたが、本丸への山道はかなり綺麗になっていました。
安芸高田市歴史民俗博物館
郡山城跡案内図
郡山城ジオラマ
毛利元就の墓所
毛利家の墓
百万一心の石碑
山道は石畳と舗装で綺麗でした。
釣井の段の井戸
二之丸跡
御蔵屋敷跡
本丸 郡山の山頂