別  名:舞鶴城

城地種類:平山城

築城年代:不明 

築城者 :不明 伊東祐実

主要城主:島津季久 新納忠続 島津豊州氏 伊東氏

遺  構:曲輪 石垣 掘 土塁

歴  史:飫肥城は南北朝期に土持氏により築城されたとされるが不明。
のち、飫肥城は島津氏の支配下に入るが、佐土原城を本拠に日向を治めた伊東氏が侵攻し、永禄11年(1568)に伊東義祐が飫肥城を奪取した。
天正5年(1577)、島津氏の日向侵攻により伊東氏は豊後へ逃れ、飫肥城は島津氏の手に落ちた。
天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州平定に伊東氏は従い、伊東祐兵(すけたか)に飫肥城が与えられた。伊東氏は関ヶ原の戦いでは東軍につき、所領を安堵されて明治維新に至る

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大手門がとても立派でした。石垣も綺麗に修復されていました。旧本丸やいたるところに杉の木が植えてあり、大きく育っていました。犬馬場の先の資料館の下の広場の四隅に大杉があり対角線上の真ん中に立つとパワーがいただけるそうです。本丸跡は資料館と飫肥小学校になっています。

大手門

門をくぐって直ぐ

大手門の内側

犬馬場

しあわせ杉

対角線上の真ん中に立ち4本の杉

しあわせ杉

旧本丸

旧本丸虎口

旧本丸北虎口の門