HSPを探せ!【その2】ショックからの理解 | ノラとハナウタ

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自分の最強の味方は自分じゃない?
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ショックを受けやすいとは?

「そんなこというー?」
という言葉を投げかけられると、即、言い返すことは不可能。
それやる?という態度をとられた時もまた同じ。
私の心の反応を書くとすれば…
 
1.ビックリする。
(なんでそんなことが言えるのか、出来るのかという驚き)
 
2.こわっ!と思う。
(同じニンゲンなのに、何を経験したらこんな発想が出来るのだろうという疑問と恐怖)
 
3.私にコレを言ってもいいという判断をされたことへの落胆。
(自分なら絶対しないのに、それをされたという事はよっぽどではないのか?という落胆)
 
4.上記により、反論する余力も皆無。
 
1から3の気持ちが心を占めて『ショックを受けている』状態になり、瞬発力で言い返せない。
 
『ショックを受けて、反撃能力ゼロ』
これだけであるならば、問題とは思わない。
ショックなことがあって固まるのは人間の反応としてあって当たり前なんだって。
 
でもこの、ショックを『受けやすい』という部分を問題として考えた場合、ショックから自分を守る為に
自分のことは周りには理解されにくい。こういうことをされても、言われても仕方がないんだと思って諦めようとする
ところがマズいのではと思う。
心をどんどん閉じていく感じ。
 
『自分だけが複雑な思考を持ち、簡単にショックを受けて被害者ぶって悲しんでいるのはおかしい。だから普通にしてないと…』
と装う。
ただ、そう思い込んで諦めようとするものの、実際にはそうは思えていないってところも問題。
自分を閉じ込める一方ですよね。
 
認めてはいないのに、2度目、3度目があった場合でも、「ほらね…」と思い、黙って我慢する。
自分を守る戦略なのだけど、『また私は…』という悲しみも同時発生しているので、飲み込めるはずもない。
 
『傷ついたよ!』
と心の中の自分は言っているのに、それを
『いつものことだよ、自分がおかしいんだよ。傷ついても仕方ないよ!』
と、覆ってしまうのだから心が強張って当たり前。
 
本当は分かっている。
不当な扱いを受けたことを。
 

 

怒らないのか、諦めているのか

では、HSPは常に言い返せないのかというとそうではなく、
ウチの長女は瞬発力で怒れる。
 
幼少期から私と似たタイプの子供なのでそこに合わせた対応、対話で育てて来たせいか私以上に不動の何かを持っている。
愛情を疑わないとか、自分を疑わないとかそういう部分で長けているので、周りに親族がいても夫くんに向かって
「は? どういう意味?」
とか言っている…(親の私がハラハラドキドキするのでやめて欲しいが…)
 
関係性が出来ていて、理解度があると分かっている相手にならば安心して反発出来るのだろう。
そして周りにいる人も自分を誤解しない人たちであるということも大きいかもしれない。
 
私の場合、周りに第三者がいない場所であれば夫には言い返せる。
何度言っても分からないし、言ったところでどうせすぐ忘れるのだから我慢するだけ無駄なので。
第三者がいない場所で…というのは、夫のプライドもあるので人前では言わないという『武士の情け』の様なもの。
 
『誤解されない相手』と、『誤解されたところで、上等だよ!とひっくり返せる相手』という両極端。
共通するのは『許容』かもしれない。
 
どちらに対しても『許せない』という気持ちはなく、言える相手であり、言ったことにより理解、もしくはスッキリするのでまぁいいかと容認できる感じ。
 
そして、口から出すことの必要性もある。
ストレスの溜まり具合の調整というか。
 
黙って頭の中で『これはおかしいのでは』とか、『自分だけが違うのだから黙っていないと…』と一旦引っ込めても、時間と共に忘れる性質ならまだしも、HSPの記憶力の良さ(対人関係で起きた自分と周りとの誤差を記憶しておく能力はとんでもなく優れていると私は思う)は辛さを緩和してくれない。
 
よって、いつまでも覚えているし、ひょんなことからつい「こんなことがあったよね」などと言えば『執念深い』とか、『いつまでも同じことを』などと一蹴されて更に傷ついたりもする。
 
なので極力、事が起きた時に、瞬間的な怒りの力を借りて思い切って口から出してみる。
言葉にしてみると、今まで黙って来た分、言えたことに満足出来たりして結果どうこうより、「あ、言えた!」という妙な達成感があったりして自分にウケる。
 
そうか、相手は分からないんだから言ってみたらいいんだ、そして理解できないのではなく、理解する気のない人はすぐ分かる(そういう事への鼻は効くはず)のだから距離を取ればいい…と、ある瞬間、パッと光が差したりする。
 
ウチの夫のように、理解力はないけど理解する気はあるというが一番厄介なのだけど、ここは伝える修行なのだと切り替えて、何度でも伝えていくしかない。
 
理解力がない場合、本当にちょっとした状況の違いにすら対応出来ないので毎回1から説明することになり、心底疲れる。
 私は静かに理解し合って平和的に暮らしたいのにスリルとサスペンスな毎日なのはどうしたワケなのか。
『自分が実はそれを望んでいるのでは』などとまことしやかに世間で囁かれているナントヤラの法則に対しても、ふざけんなと思っている。
『心穏やかに暮らすのが望みです…』とナニガシかに祈った直後に起きるイラッと案件を、誰かなんとかしてくれといつも思う。
…まぁしょうがない。なんとか生きています、ありがとうございます、ナニガシ(←完全に話しが外れている)。
 

 

結局は言える場という安心感のために

さて、話しを戻すと、
『言っても理解されない、否定される、通じない
という部分で傷ついて来た人は多いと思うけれど、それは本当に何度もだったのかを考えてみて。
 
『みんな』だったのか、
『毎回』だったのか、
少しも理解しようという空気はなかったのかを。
 
思い出してみると『みんな』ではなく、ある特定の人物であったり、『毎回』なんてほど伝える前にとっくに黙ることを選択する癖がついていたり…自分から黙る、諦めるをして自分を守って来たのかもしれない。
 
なにしろ記憶力の良さと、「こういう時に下手に発言すると面倒になるぞ」と予測するのも早い。
たった一度注意されたことでも刺さっていたりするくらいだから。
 
それを後悔でも悲しみでもなく、『今やっと言える時期が来たのかもしれない…』と思えたら儲けもの。
反省より体験だと私は思う。
 
4月、5月と寝込んだり、トラブルに見舞われている人が多かったように思い、ちょこちょこ連絡してみたりしたけれど、どの話しを聴いても『なるほど、この人は今、倒れないといけないんだな』という人たちだった。
頼らず、自分で考え、無理を押してなんでも自分で引き受けて解決して来た人。
 
ここらで一旦寝込んで周りに頼ってみる?、辛いと言ってみるかい?と問われてる様な人たち。
 
手を貸したくても、「誰か頼むー!」と言われないと動けないことってたくさんあって、機嫌悪そうだけどセカセカと家事をこなしてる、仕事もこなしてると思えば家族も声は掛けづらい。
 
もう寝込んでしまえば案外周りが嬉々として動いてくれたり、もしくはカネで解決する術もあったかと気づいたり。
 
どこぞの惣菜やらデリバリーが続いたところで健康的にもメンタル的にも影響はないし、お金で解決することを『ラクをする、手を抜くこと』だと思って罪悪感なんぞ抱いていたけど、案外安い、美味しい、手間要らずで助かるわーとかね。
無駄使いと思うかもだけど、時間や手間、そして何よりも自分の機嫌にお金を払うならトントン以上に儲かってんじゃない?と私は思う。
 
些細なことでもショックを受けたり、それを言えなかったりする私たちだけど、50代後半に向かってる私としては、もっと早くラクに自由になれたよねーとも思うので、いつからでもいいし、徐々にでもいいので、ちょっとずつ自分を締め上げる手を緩めて、
「あー助かったわー」とか、
「あー楽ちん!」と、
自分が喜ぶ方へシフト出来たらいいなぁと思います。
 
無理にとか、
そうした方がいいからではなく、
自分で、そうしようかなと思えたら…で。
 
そもそも『聴いてもらうことを諦めていた』のか、『教えてあげなーい!』的に黙っていたのかは怪しいラインで、私は悲しくなりたい時には、「悲しいわー」と悲しい側に比重を置いて「アタシったら可愛そうかも!」と寄り添ってみたり、『ケッ、本心なんか教えてやるか!』とむしろ勝ち誇っているかのように話さずとも全然へっちゃらな自分だったりもしたんですよね。
 
どっちになってみてもいいし、どちらかが心地よい時があってもいいと思っています。
自分が自然に感じる方へ、その時々でバランスを取れたら万々歳!
 
 
次回は、
HSPの『誤解』と『正義』へのこだわりでお会いしましょう!
 
では、またね!
 

 

春になってもただの20センチ弱の焦茶色の枝のままで
『枯れたか?』と何度となく曲げてみるも、
パキッと折れずにしなうので様子をみていたアナベル。
咲く気になっていて愛おしい。
 
みんなも、パキッと折れずにしなやかに!

 

 

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2022.05.16

12:12