「家に残りたきゃお小遣いゼロな」「お前の口座の金、全部下ろしてやる!」「こんな奴に渡す金なんて無ェ!」

 確か小学校三、四年生の頃の話。あの歳では、流石に家出という手段もない。よくわからない施設に預けられるのも抵抗がある。なので今後は、必要な物ですら手元にある数千円ぽっちのお金でやりくりしていかなくちゃいけないらしかった。

 思えばあの時が『お金への異常な執着心』を生んだきっかけなのだろう。


 話が変わるが、女子小学生の脳ミソはちゃおに支配されている。ペンケースはちゃおの付録、中身のペンもちゃおの付録、ちゃおの付録で回す交換ノート、話題だってちゃお、何でもちゃお、ちゃお、ちゃお…………

 「今月のナゾトキ姫さー……」

なんて言われたって、適当に相槌をうつしかなかった。みんながちゃおの付録や、イオンの雑貨屋さんで売っている千円程度のペンケースを使っている中、私は百円均一のペンケースを使うしかなかった。将来絶対金持ちになろうと心に誓った。


 生まれたときから貧困家庭だった、だとか親が離婚した、とかだったらまだ吹っ切れていたと思う。しかし、うちは平成三十年現在、建ってから十一年経つのにまだローンが二千万円以上ある家に住めていて、父親が元自衛官で共働きときた。お小遣いがゼロになった当時、姉だけは相変わらず月二千円のお小遣い。貧困家庭じゃないのに、私だけがホームレス寸前だった。


 今では常に手元に十万円がないと落ち着かないし、銀行の口座にもそれなりの金額がないと不安になってしまう。図書カード目当てで大学の資料請求もしまくっている。個人情報とかどうなってもいいし、自分の身がどうなったっていいから、とにかくお金が欲しい。



小学校生活も終わりが見えてきた頃、口座にほんのちょっとだけ残っていたお金で、ワケありで割引されていたiPod touchを買った。

 購入後暫くは比較的健全な使い方をしていたが、それでもインターネット上ではよろしくない情報も入ってくることがある。ある日、援助交際という言葉を覚えてしまった。やはり最初は怖いもので、自分は手を染めずにいようと思っていた。

 しかし、親から暴力を振るわれたり、「出てけ!」と言われて本気で家出をしたりといった日々を送るなかで、「知らないおじさんの方が優しいのかもしれない。」そんな考えが浮かんでしまった。

 とは言っても、いきなり二人きりになってあんなことやこんなこと……というのは、ティーンエイジャーの処女にとっては怖いに決まっている。ということで、所謂『パパ活』『デート援』に挑戦してみようと思った……のも束の間。ちゃんとNG行為等を読まずに会ってきた男にラブホに連れ込まれ、本番はしなかったものの、一昔前の言いまわしで『B』と表現されることをされてしまった。高校入学を控えた中学三年生の春休みのことであった。

 田舎住みでなかなか募集ができないということ、高校生活が忙しかったこと、約束を破られホテルに連れ込まれてしまったショック、などからその後暫くはそういったことはしないでいた。思えばあの時に辞めておくのが正解だったのだろう。

 次にしてみたことは下着販売。といっても相手がなかなか見つからず、直接会ってその場で脱いで渡した相手1人にしか売っていない。

 その後も先程とほぼ同じ理由で、募集せずにいた。

  あの時のまま同じような日々を過ごしていたとしたら、今こうしてインターネットアイドルをしていたり、ブログで自分の身に起きたことを赤裸々に語ったり、最新機種のiPhoneXrを警察に押収されたり……なんてことはなかったと思う。



 今年の六月から学校に行かなくなり、九月一杯であの学校を辞めた。長文になりすぎてしまうので、その経緯はまたの機会に話すとする。

 高校を辞めたことによって、大幅に時間が確保できるようになった。その時間をアルバイトと通信のレポートに割いたって、まだまだある。そこで、本番なしの所謂『プチ援交』を本格的にはじめてみることにした。

 プチをしていくなかで、平成三十年九月一日に処女を奪われた。死ぬまで処女でいるか、処女を売るときは十万円とかで売ろうと決めていたのに。(男への恋愛感情はゼロと言っても過言ではないので、好きな人に……という発想はなかった。)

 ちなみにソイツとはその後も何回か会って、普通の援助交際よりも多めに貰ったりしていた。

 といった感じで、処女を奪われて以降は穂別ゴムあり三とかで援助交際をするようになった。月に十日くらいしかしていなかったのに、月収は二十万円以上だった。

 あんなに欲しかったお金も手に入るし、おじさん方は暴言暴力のオンパレードな親と違って、何かと肯定してくれた。美味しいご飯をご馳走してくれたおじさんだって、高級ホテルのスイートルームに招待してくれたおじさんだっていた。

 よくないことだと解っていても、性器を舐めるのに嫌悪感があっても、挿れるのがどんなに痛くても、生きていていいんだと行動や発言で示してくれたのは、彼らだけだった。処女を奪われた相手に怒りがあまり込み上げてこなかったのは、腕にある線状の傷痕を見て「これも自己表現の一つ」と言ってくれたからだろう。


 しかしそんな日々も永遠に続くものではなかった。日本の警察というのは優秀なもので。十二月六日の午前中、家に警官がやってきた。

 署へ連れてかれて、人生で初めて取調室という所に入った。警官と一緒にスマホの履歴を眺めながら、自分の知っている情報を話せるだけ話した。

最新機種のiPhoneXrを暫く使えないこと、携帯がいつ帰ってくるのか到底検討もつかないこと、携帯の中にある沢山の自撮りやメモ帳のポエムを見られるのかと思うと穴があったら入りたいこと……を除けば、警察に見つかってよかったのかもしれない。


 とりあえず、感情をできるだけ省いてこの身に起こったことを書いてみた。

 まだまだ話したいことや君に伝えたい感情は沢山あるけれど、今回はこれまでにしておく。それじゃあね。