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<本文>

發菩提心真言 
おん ぼうぢしったぼだはだやみ

三昧耶戒真言 
おん さんまや さとばん


<意訳>

発菩提心真言
オーン 我は〝菩提を求める心〟を発します

三昧耶戒真言
オーン 汝は如来と平等無差別であり、如来そのものである



「真言」はインドでは〝マントラ〟といい、中国では〝呪〟〝神呪〟〝密呪〟と訳されます。

この〝マントラ〟とは聖なる者を讃えたり、また祈願の意をもって唱える〝聖なる言葉〟、つまり呪文・呪術のことです。

仏教に限らずインドの宗教では、昔からこの〝マントラ〟という呪文を駆使して、聖なる者への祈りと、そして自らの心願を伝えることを行ってきました。

古代インドの人々も、こうした心の言葉を、それぞれの〝願いごと〟に応じては〝マントラ〟という呪文に整え唱えてきたのです。

仏教の中において、こうした「真言」という言葉を、覚るための手段、成仏するための方法として唱えるのが、真言密教なのです。


菩提心とは、覚りを求め、この身このままで仏になれるよう努力する心のことです。

この「真言」唱えるのは、それを高らかに宣言するという意味があります。

〝今、自分の心に菩提心をおこしました、そしてずっと持ち続けます!〟と、宣言して誓う言葉です。

この「真言」で起こそうとする菩提心は、もともと自分の心の奥に存在している、っていうのが真言宗の考え方なのです。

つまり私達は、心中に仏様と同じような心をずっと持っているに、煩悩にまみれて気がつかない。

その心を見出すならば、今すぐにでも成仏できるというのが真言宗のすごいところなのです。


三昧耶戒真言・・・仏になりきる。

これは菩提心をおこす宣言を受けた仏様からの返事の「真言」です。

発菩提心真言によって菩提心をおこしたとき、〝この身すべてが仏と平等になるのだ!〟と、私達の心の中にいる仏様が答えているのです。

自身が仏と平等であり、仏と何の違いもないということは、生身の私達がそのまま仏であるということになります。

そして〝自分が仏であるなら、仏として実践して行こう〟、または〝仏として生きる〟という、決意宣言を込めた「真言」であると理解しましょう。



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