↑のつづき。
さてさて、モチコとハヤコの企みと、それに利用されているソサノヲ。
偶然通りかかり、ソレを知ってしまったセオリツ姫の妹『ワカ姫ハナコ』。
ハナコはモチコとハヤコの企みをセオリツ姫に報告。
その一部始終を知ったセオリツ姫は、ハナコに口止めをし、「その時」を待った。
ある日、アマテル大御神と重臣達の留守を見計らい、セオリツ姫はモチコとハヤコを呼び出し、こう告げた。
「そなた達の企みは全てわかっています。
本来なら公の場にて重罪になるところですが、アマテル大御神の心を煩わせたくないので、この場でワタシの一存で処分を下します。
しばらくの間、遠方の地「ツクシ(筑紫)」へ行き、冷や飯をお食べなさい。」
ひとつ間違えば命を取られるところであったセオリツ姫だが、その処置は大変寛大であった。
こうして、モチコとハヤコの姉妹はツクシに流されることになった。
ちなみに、この姉妹の御子はというと、モチコの子でありアマテル大御神の長男『タナキネ(アメノホヒ)』は、父の元に残り、まだ幼かったハヤコの三人娘は母ハヤコと共にツクシに下ったのだそうな。
周囲の者たちは、母ハヤコが罪人になってしまった三人の娘に同情し、ハヤコにこう告げたという。
「ツクシでちゃんと娘達を育てればきっと良いことがある。短気を起こさず、辛抱しなさいね」と。
この三人の娘が、後の宗像三女神でございます。
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ツクシでは、宇佐のアカツチ(赤土命)がモチコ達の受け入れを命じられ、お宮と呼ばれるにふさわしい立派な住まいを建てたのだそうな。
※これが宇佐神宮の始まりだとも言われております。
さて、無事にツクシにやってきたモチコ達。
しかし、モチコとハヤコの恨みつらみは、さらに燃え上がり、とても三人の娘を育てるどころではなかった。
この状況を知ったセオリツ姫は、さすがに堪忍袋の緒が切れた。
三人の娘をハヤコから引き離し、アマテル大御神の妻の一人で、クマノクスヒの母『トヨ姫アヤコ(豐比賣命)』を養育係として派遣したのである。
※トヨ姫(豐比賣命)は、福岡県の香春神社などに祀られている。トヨウケ姫と混在してしまいそうになるが、そう単純な話ではないのかもしれない。
そして、モチコとハヤコは流刑罪となった。。
これにて、セオリツ姫暗殺計画に終止符がうたれた…
かに思えたが…
流浪の罪を背負い、「サスラ姫」となったモチコとハヤコは、チタル邦のヒカワに至ると…
恨みのあまり大蛇となり、トグロを巻いたのでした。
※恨みのあまり人間性を忘れた人間の例え
こうして『八岐大蛇(ヤマタノオロチ)』は生まれた。
ヒカワでモチコとハヤコを受け入れたのは、この姉妹に恩義のあるシラヒトやコクミ達だった。
彼らは、アマテル大御神の反対勢力として、集まり出していたのでございます。
べべん❗
※サスラ姫となったハヤコ。繋げて読むと、『ハヤサスラ姫(速佐須良比売神)』である。
祓戸四神であるセオリツ姫とハヤサスラ姫が敵対していることに、強烈な違和感を覚えながら、
次回につづく。
ではまた❗
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