さて、神山町神領を後にしてさらに進む。


車で鮎喰川を西に遡ること約10分。


この素晴らしき世界。
宮前橋を渡ってすぐ、
目的地へと辿り着いた。


この立派な大鳥居。

街中でも中々見かけない。



手水舎。




天然記念物『辰の宮 大楠』

樹齢は約800年❗



そう、ここは『辰の宮』と呼ばれる
龍神の社である。






大鳥居をくぐる。






随神門。



ここにも大きな楠。

拝殿前のものは樹齢約600年なのだそうな。




拝殿。

辰の宮『宇佐八幡神社』

鎮座地 徳島県名西郡神山町下分西寺
創建 不詳
別称 辰の宮
主祭神 誉田別尊(応神天皇)
配神
神功皇后 仲哀天皇 仁徳天皇
大国主命 事代主命 外五十余社



宇佐八幡神社の元宮の伝承がある。


『元宇佐』。


ウサの名からウサギを連想する。

オオゲツヒメといい、
神山町は『月』に関わる史跡が多い。


旧神饌幣帛料供進神社。

戦国時代に荒廃し、
永正4年(1507)に
麻植郡川島上桜城主篠原左京之進が
豊前宇佐八幡宮の御分霊を勧請して
再興したとされるが、
重要なのは荒廃する以前。

この神社がどのように創建されたかが
重要なのである。





社紋は『丸に違い鷹の羽』❓️
鷲かもしれませんがね。
龍の彫り物がカッコ良すぎる。

ここは『辰(龍)の宮』なのだ。

真ん中にはカイドウのような龍神。

その下には、洪水になって
人間を襲っているような
水龍が描かれている。

その意味は恐らく、
宇佐八幡神社の創建に関わる伝承。


阿波古代史のバイブル
岩利大閑先生著
『道は阿波より始まる その三』より引用↓
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雲早(クモソウ)山」の山麓より流れ出で
神通滝の流を合わせ
宇狭(うさ)」を通って
鮎喰川になっていますが、
宇狭」とは川をはさんで
北宇井」「宇井」の地名が
記されている所です。

宇狭とは両岸まで南北の峯尾がせまり
川幅がおしせまっている場所の
形容からきた地名ですが、
雲早山」を中心として祀られた
豊雲(トヨクモノ)大神(女神)の
お社が「龍の宮」と呼ばれていました。

大雨で神通谷川
洪水におそわれた時に社が流され
この「宇井」の亀石にひっかかって止まり、
以来元々の「龍宮(タツノミヤ)」が
宇狭の宮」と呼ばれるようになり
現在に至っていますが、
この地方の人々は神通谷川
なぜか八万谷とよび、
かつては八万谷にあった部落の人々も
現在はこの社に流れついた
宇狭(ウサ)」に移り住んでいます。



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豊雲大神とは龍神をもって表されている如く
「倭奈国」時代からの水神で
海人(アマ)族の女神です。
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つまり、本来の祭神は
豊雲大神だったのである。

また、

八万谷は『八幡』に紐付く。



この辰の宮こそ、

上一宮大粟神社に伝わる『浦島伝承』や、

神山町にその痕跡を遺す豊玉姫のルーツ、


古代の『龍宮(りゅうぐう)』…



なのかもしれない。




横から本殿。





宮崎県宇佐市に鎮座する
八幡神社の総本宮『宇佐神宮』。

その元宮には諸説あり、
大分県中津市の『薦(コモ)神社』も
そのひとつ。


阿波徳島は、
「隠(コモ)り国」と呼ばれていた。


宇佐神宮は豊前国一宮だが、
豊前は元々『豊(トヨ)ノ国』。


豊(トヨ)雲大神

豊(トヨ)受大神

豊(トヨ)玉姫命

そして、
卑弥呼の後継者『台与(トヨ)』。


トヨ』は『壱与(イヨ)』とも呼ばれた。


その名の通り『伊予国(愛媛)』が
居住地だった可能性が高い。


伊予国(ヨの食国)を任された月読は、
ホツマツタヱの記述通りなら
お隣の九州の一部をも統治したはず。



『道は阿波より始まる』の中でも
最も衝撃を受けたのが、コチラ↓
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古代象形文字の研究家相馬氏が、
著書「古代文字の研究」の中で、
九州地方出土の甕棺や洞穴の岩壁の
古代文字を解読したところ、
「阿波、伊与を討て」
という呪詛が多くあった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


トヨ(壱与)は攻める側の人物だった。

阿波から九州へと。

そして、
豊ノ国』が生まれた(のかもしれない)


阿波特有の五角形『地神塚』。

狛犬がしっかり守護している。




神山町神領に鎮座する
上一宮大粟神社の祭祀を代々務める
阿部家』。

阿部宮司のご先祖様は
始祖『阿閇御祖神(あへのみおやのかみ)』。

西暦698年に
阿倍船守の長男として生まれた
阿倍 仲麻呂

遣唐使として派遣された阿倍 仲麻呂
数十年ぶりに帰国する際に開かれた
見送りの宴の場で詠まれた
百人一首にも残る詩↓

天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも

神山町より北、徳島市入田町には
天ノ原』『春日』『笠木』の地名がある。


安倍晴明の物語では、
子供の頃、いじめられていたを助け、
その礼に龍宮へ連れていかれた話がある。


アベ一族と龍宮は、
この神山町で繋がるのである。



ちなみに、

阿倍 仲麻呂の子『満月丸』が

後の安倍晴明の先祖にあたるのだそうな。



年末の冬至の日、
こんな雪の日に神社参拝をする変わり者は
ワタシぐらいなのかもしれない。

この旅では、あまり人に会わない。






ここまで来れば、初期の高天ヶ原は程近い。

神山町からは後期高天ヶ原。



剣山もある美馬市木屋平(こやだいら)

※残念ながら、この日は
大雪でこれ以上は進めなかった…


大嘗祭に用いられる麁服を調進する
三木家の本拠地木屋平

『道は阿波より始まる その三』より↓
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「阿波川井」「谷口」の両地図に
穴吹川をはさんで両側に木屋平があり
その南側が「天神丸」を最高峰として
北の木屋平村につながっています。

北側の木屋平村の東に
「東宮山」と峯つづきに
「天行山」が記されていますが、
蜂須賀治世時代の諸文献では
「天行山」ではなく「天桁山」「桁村」が
地名として使われている所をみると、
当然「天桁山(アメノケタヤマ)」が
正しい地名と思われます。

「東宮山」「天桁山」と連なるこの峯が
正に絵に描いたような建物の
大屋根そっくりの形をしているのです。

木屋平(コヤダイラ)村の地名も
これから起こったのでしょうが
この木屋平村が「天小屋根命
天日鷲命」の居住地です。

神代の重要な儀式は
天空をささえる天の元山の中心地
「天桁山」で行われてきました。
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現在こそ木屋平村はいかにも
山間の辺地のように見えますが、
神代と呼ばれた時代では
天の元山の中では
最大の集落で交通の要衝でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
三ツ木村から眺める東宮山・天桁山は
天の児屋根と呼ばれる。

忌部の祖神天太玉命とともに
祭祀を司っていた天児屋根命

その神名の由来はとても分かりやすく
この地に残されているのである。




衝撃の元宇佐。


神山町はロマンだらけ。


最高に楽しい町ですよ皆さん❗




さてさて、
神山町はこれにておしまい。

西へ西へと進んできたが、
一旦、東へと戻り次の町へ。


現在、徳島唯一の村
佐那河内(さなごうち)村』❗


さらなる衝撃がワタシを襲った。


つづく。


ではまた❗





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