前回のブログを見てくださった方に、どうも心配をかけてしまったみたいで…
打ちひしがれてるんじゃないかと、「気晴らしに行くか!」って母に遊んでもらったりして。
すみません。(長いし)
わたしはかなりフツーに生活してます。
いやすみません。
普通に仕事に行って、友達と遊んだり、ライブ行ったりしてます。
言い訳に、「経済を回している」とか思わなくても良くなったくらいだな。
6日には、渋谷aubeにリョウイチ革命を見に行った。
ドラムの音が伸びなかった、ギターの音が聞こえない件、わいのわいの。
それはそれで、楽しい。
やりこむことで演者の意識が揃ってくるからなのか、個々の曲のイメージが立ってきていて面白い。
これからどうなって行くのかな。
2011.4.2 の リョウイチ革命@新宿レッドクロス
↓
10日には、Bel boy 企画のイベントにいった。
出演:Bell Boy/ 壊れかけのテープレコーダーズ/ 赤い公園 /或るミイ/
きのこ帝国 /THE MASHIKO
壊れかけは、ご本人達は色々思うところあるようでしたが、上記、個々の曲のイメージ立ち
(「キャラ立ち」みたいな)のがとても良くて、すごいなあと思う。
ちょっと見ごたえが違ってきました。貫禄出てきたという事なんだろうか。
2011.5.4 の 壊れかけのテープレコーダーズ(ワンマン)@三軒茶屋HEAVEN's DOOR
↓
(カメラが2台だ!)見に行ったけど、高揚感があってよかった。
去年の 或るミィ
↓
で、去年の Bell Boy 。 2010.7.10 @渋谷屋根裏
↓
Bell Boy 初めて見ました。
ボーカルの櫻君が、出番までにだんだん酔っ払っていき、すげえ早口になってきたなと思ったら
舞台の上で高速回転トークでした。
ここに持って行きたかったのねー、と納得。
面白いこと言ってるので、映像でも分かればいいんだけどなぁ。
そして、演者でも一般人でも、脱ぐ男の子というのはどんな心理なのか。
家に帰るとパンツだけになってしまう男の子は多いと思うんだが、それと関係あるのか。
日本人庶民は、明治初頭まで男も女も半分裸みたいな恰好で生活し、往来からそれが丸見えみたいのが
普通だった事と関係あるのか。
お昼作るのがめんどくさいなーと思ってたら、夕方になっちゃったな。
みたいな、生活です。
今起こっていることをちゃんと知りたいと思って、宮古に行ってきました。
体験することは、やはり重要だと思っています。
被災地、福島の原発被害、真面目な人ほど、関わったら地獄の底まで!ってならなければいけないんじゃ
ないかと、ハードルを上げて考えてしまうのかもしれない。
でも、生の肉体で、起こっていること、距離感、臭いや気配、そういう体感的な未整理の事実というのは
頭で考える、その間に挟まなければいけないアクションだと思う。
別に震災に限ったことではなくて。
被災地に行くのがいいことだ、とも思っていないのは、そのせいかもしれない。
自分の頭の中を占めている問題に現実の手触りを与えてもらう事に感謝しなければならないし、
被災された方に役に立つよりわたしの方がそういった意味での恩恵にあずかっている、ということに
すみませんと言いたい、くらいなのです。
そして、そういう自分のすることが、現実的な一助になるならば、と開き直るのです。
誰かが誰かの意思で「こう伝えよう」と整理した情報しか入ってこないものだ、というのが未熟ながら
分かってきた。
いや、正しくは、そういう形でしか「伝える」という手段は在りえないというところか。
数字すら、ある意志を持って整理されればその意思が現れるのだから。
良いとか悪いとかの分類は方向性あってのもの。
その方向性とは、誰か自分じゃない人のもの。
未整理の事実に付き合って、自分で整理をつけていきたい。
友達が死んじゃっても、葬式がなけりゃ仕事に行くし、ごはんはごはんで美味しいし。
でもあったことはあって、ないものはなくて、世界はまったく未整理です。
それは普通の生活だなーと、いう、まあ、普通に生活しています。
おまけ
(つづき)
イベントの前日、時間が半端にあったので、宮古港へ行ってきた。
(なんとなくわたしが撮ってはいけないと思ったので、写真はないです)
東京から盛岡に昼頃ついて、そこから更にバスで2時間。
また夜には盛岡にもどるので、滞在時間も2時間くらいになってしまった。
宮古駅から港に向かって歩くと、駅近くの商店街は開店してがんばっている。
繁華街のたくさんあるような土地じゃない。
ここがいち早く元気になることは、町の存続にとってとても重要な事だ。
「がんばれ宮古 長嶋茂雄」という紙がコピーされて店頭に貼ってあるのが目につく。
しかし、駅から離れるにつれ、諦めるしかなかった店舗・住まいが目立つようになった。
「解体OK」の貼り紙。
家主の字なのだと思う。
それを書かねばならない、というのはどんな気持か…
外形は保っているが、どこまで水につかったのか、骨格が無事なのかどうかは判別付き難い。
柱の根元が、内陸に向けて持って行かれそうに傾いたものもある。
汚泥を掻き出していない店舗兼住宅を見てはじめて、その他のところは汚泥を掃除したうえで
解体を迎えるのだと気付く。
乾いた灰色の汚泥は床から5cmほどの厚さに積もって、乾いた大地みたいにヒビが入っている。
今さらながら、植え込みの根元が汚泥の灰色なのにも、気付く。
国道は信号が復活しているけれど、バス通りは傾いて暗いままだった。
海が近づくと、住宅街は人気がなくなってくる。
築地辺りに来ると、家は残っているものの、ほとんど「解体OK」と書かれている。
動いているのは解体の重機と、がれきを運搬するトラック。
あとは舞い上がっている土埃、いや匂いが違うから汚泥埃なのかな…。
古い、ちいさいが立派な平屋の民家があった。
黒光りする柱や梁。
でも、足元を内陸側にすくわれるように傾いている。
海側に傾き、窓もなくなっているので中が良く見える。
額に入れられた賞状や、先祖のものなのか、古い肖像写真が壁にならんでかかっているのが見えた。
その家も今、解体が進んでいる。
すこしだけ離れたところで背中に手を組み、解体を見ているおじいちゃんが居た。
家主かなと思う。
解体したがれきを積んだトラックがわたしを追い越した時に、何通かの手紙や封筒が落ちた。
拾い上げたら、濡れていた。
岩手県宮古市 ○○様 と書かれていて、番地がない。
番地を書かなくても届くような、地元のひと。
おじいちゃんに渡そうかとも思ったけれど、判断がつかなくて、勇気もなくて、
道路わきに飛ばないように置いてきた。
住んでいる人もいるようだ。解体されて平らになってしまった中に、洗濯ものを干してある家もある。
「解体不可」の貼り紙。
道路にスプレーで「復興 Why?」と乱暴に書かれているのを見た。
こころがチリチリ。
海沿い。
堤防の内側にがれきが溜まっている。
生活用品と事務機器と木の根っこと漁獲網と電信柱と干からびた魚。
堤防が風を止めているので臭いがこもる。あまり嗅いだ事のない、潮の混じった腐敗臭だ。
宮古湾の宮古市魚市場に出た。
テレビで、コンテナがまるでお菓子の箱みたいに流れていたところ。
もともと駐車場の広々したところだけれど、きれいになっていた。
でも、植え込みは汚泥にやられて枯れていて、街灯や歩道のポールは折れて、今は根元だけ。
カラスが干からびた魚をどこからか引っ張り出して来て、つついている。
グーグルマップでも見られるが、ここに解体後のがれきを集めて山にしていた。
お時間あれば、岩手県宮古市臨港通をマップの航空写真でで見てみてください。
わたしが行った時はグーグルの写真よりも大きな、そしてちょっと几帳面な四角い山になっていた。
高さは4mくらいだったのかな。
宮古市魚市場は人が結構いて、特殊車両がかれきの山を積んでいた。
止めた車の側にふたりでしゃがんで、長いこと話し込む作業着姿の男性の姿もあった。
家族連れもいる。少しのんきな感じなので、わたしのように遠くから来たのかも。
こどもに「ねえ、いつ元に戻るの?」と訊かれて、親は何も言えないようだった。
がれきの山の周りをぐるっと回ってみた。
真新しい埋め立て処分場みたいだ。
潰れた車も、布団も洋服も、柱も家具もトタンも、いっしょくただった。
この中に、あのおじいちゃんちの手紙も積み上げられるんだろう。
物には、生活や仕事などの諸々の用途で質感や量感というか、存在の仕方というか、そういうものが
あると思うのだが、それらがほんとうに何もかも、いっしょくただった。
そういうものを総じて、わたしたちは「がれき」と呼んでいるんだな。
もうタイムリミットだったので、あと少し、と宮古湾沿いの鍬ヶ崎方面へ歩いた。
駅から離れるほど被害はひどくなっているのだが、ここから先はもっと大変そうだと分かる。
潮の腐敗臭が強くなって、自衛隊車両が鍬ヶ崎の方から何台も出てくる。
1階のないアパート、崩れているが解体出来ていない家。
このあたりの山と海に挟まれた細い海岸沿いの土地までは、まだ整備の手も足りていない
感じだった。
道路脇は汚泥の積もったいろんなものがまだ散乱していて、大股でまたいで歩く。
鍬ヶ崎の魚市場に、死にかけた猫がいた。
身体が小さくて、鼻もツンと小さくて可愛い、淡いクリーム色のシマ猫。
うつぶせにへたり込んだまま動けなかった。
目も鼻も口すらも、ガビガビで塞がっている。病気なんだと思う。
猫にも感染症が広がっているのかもしれない。
なでてやると鳴くのだけれど、塞がった口からは声にならなくて、痩せた背中が大きく膨らんで
身体の中で音がする。
息が荒くて、お腹がひこひこ忙しく動いている。
きっともうすぐ死んでしまう。
日が傾いて来ている。
夕方前に見周りに行くのか、警察隊が歩いて通り過ぎて行った。
電燈のない夜が来るんだ。
病気になった猫はもうすぐ死んでしまう。
能力のないわたしは、なんにも出来ない。
ただの からだひとつ では、なんにも出来ない。
バスで宮古駅に着いた時、変な言い方だが、拍子抜けした。
がれきの地平が海まで続いているんじゃないかと、ビクビクしていたのだ。
同時に、自分に何かできることもあるんじゃないかと、期待していたのだ。
でも、わたしはぼーっと立っているただの人で、
重機で粛々と家は壊され、人はそこからいなくなり、夜が近づいて、猫は病気で死ぬ。
ただここで見渡していても、
溺れている人も、怪我して傷口から血が出ている人も、もうここにはいないし、
声を上げて泣いている人もいないのだ。
ただの からだひとつ で見渡しても、何もできない。
猫が死んでしまうんだ、と子供の時のように思って、涙が出た。
そして、猫をおいてその場を離れていく自分に涙が出た。
子供のときに思ったような無力感だ。
すごすごとバスに乗って、盛岡に帰った。
わたしは、何が起きているのか知りたいと思って宮古に行った。
大変な事が起きている、その大変な事とは何かが知りたかった。
ここにあったのは、ないということ。
亡くなった人、壊れた住まい、失った仕事。
突然断ち切られた、「今までどおり」。
失ったことで起きていることは、失わないように抵抗している現場よりも見えづらい。
流されそうな人の手を必死で掴むというアクションはできる。実際に引き上げられるかどうかの
難しさはひとまず置いて。
だが、大事な誰かを流されて失ったひとに、ただ手を差し伸べるのではまったく意味をなさないのだ。
今さら何を言っているのか、と思われそうだが、そういうシンプルな事実を実感した。
この場が、そういう段階に移っている、という実感。
ボランティアが各地から集まっても、その力が宙に浮く。
物資提供をしようとしたら、被災地のニーズを引き出せない。
窓口がない。
「被害状況」の報道が縮小していくと関心が薄れる。
その難しさの、当然すぎる理由に触れたような、触れないような…
書いたら少し分かったけれど、やっぱり整理はつかなくて、つらつらつらつら。うつらうつら。
眠い。
自分が被災地に何かしたい、と思った理由も実は分からない。
これは恐らく、美しい善意ではないという感触はあるが、それが何かの役に立つならそれでも
よかろうという感触もある。
社会的生き物である自分を確認しているのは確か。
でも猫のことを思い出したらまた泣いてしまった。
そんなものなのだ。
ただ、この子供じみた実感がカギのような気がしている。
イベントの前日、時間が半端にあったので、宮古港へ行ってきた。
(なんとなくわたしが撮ってはいけないと思ったので、写真はないです)
東京から盛岡に昼頃ついて、そこから更にバスで2時間。
また夜には盛岡にもどるので、滞在時間も2時間くらいになってしまった。
宮古駅から港に向かって歩くと、駅近くの商店街は開店してがんばっている。
繁華街のたくさんあるような土地じゃない。
ここがいち早く元気になることは、町の存続にとってとても重要な事だ。
「がんばれ宮古 長嶋茂雄」という紙がコピーされて店頭に貼ってあるのが目につく。
しかし、駅から離れるにつれ、諦めるしかなかった店舗・住まいが目立つようになった。
「解体OK」の貼り紙。
家主の字なのだと思う。
それを書かねばならない、というのはどんな気持か…
外形は保っているが、どこまで水につかったのか、骨格が無事なのかどうかは判別付き難い。
柱の根元が、内陸に向けて持って行かれそうに傾いたものもある。
汚泥を掻き出していない店舗兼住宅を見てはじめて、その他のところは汚泥を掃除したうえで
解体を迎えるのだと気付く。
乾いた灰色の汚泥は床から5cmほどの厚さに積もって、乾いた大地みたいにヒビが入っている。
今さらながら、植え込みの根元が汚泥の灰色なのにも、気付く。
国道は信号が復活しているけれど、バス通りは傾いて暗いままだった。
海が近づくと、住宅街は人気がなくなってくる。
築地辺りに来ると、家は残っているものの、ほとんど「解体OK」と書かれている。
動いているのは解体の重機と、がれきを運搬するトラック。
あとは舞い上がっている土埃、いや匂いが違うから汚泥埃なのかな…。
古い、ちいさいが立派な平屋の民家があった。
黒光りする柱や梁。
でも、足元を内陸側にすくわれるように傾いている。
海側に傾き、窓もなくなっているので中が良く見える。
額に入れられた賞状や、先祖のものなのか、古い肖像写真が壁にならんでかかっているのが見えた。
その家も今、解体が進んでいる。
すこしだけ離れたところで背中に手を組み、解体を見ているおじいちゃんが居た。
家主かなと思う。
解体したがれきを積んだトラックがわたしを追い越した時に、何通かの手紙や封筒が落ちた。
拾い上げたら、濡れていた。
岩手県宮古市 ○○様 と書かれていて、番地がない。
番地を書かなくても届くような、地元のひと。
おじいちゃんに渡そうかとも思ったけれど、判断がつかなくて、勇気もなくて、
道路わきに飛ばないように置いてきた。
住んでいる人もいるようだ。解体されて平らになってしまった中に、洗濯ものを干してある家もある。
「解体不可」の貼り紙。
道路にスプレーで「復興 Why?」と乱暴に書かれているのを見た。
こころがチリチリ。
海沿い。
堤防の内側にがれきが溜まっている。
生活用品と事務機器と木の根っこと漁獲網と電信柱と干からびた魚。
堤防が風を止めているので臭いがこもる。あまり嗅いだ事のない、潮の混じった腐敗臭だ。
宮古湾の宮古市魚市場に出た。
テレビで、コンテナがまるでお菓子の箱みたいに流れていたところ。
もともと駐車場の広々したところだけれど、きれいになっていた。
でも、植え込みは汚泥にやられて枯れていて、街灯や歩道のポールは折れて、今は根元だけ。
カラスが干からびた魚をどこからか引っ張り出して来て、つついている。
グーグルマップでも見られるが、ここに解体後のがれきを集めて山にしていた。
お時間あれば、岩手県宮古市臨港通をマップの航空写真でで見てみてください。
わたしが行った時はグーグルの写真よりも大きな、そしてちょっと几帳面な四角い山になっていた。
高さは4mくらいだったのかな。
宮古市魚市場は人が結構いて、特殊車両がかれきの山を積んでいた。
止めた車の側にふたりでしゃがんで、長いこと話し込む作業着姿の男性の姿もあった。
家族連れもいる。少しのんきな感じなので、わたしのように遠くから来たのかも。
こどもに「ねえ、いつ元に戻るの?」と訊かれて、親は何も言えないようだった。
がれきの山の周りをぐるっと回ってみた。
真新しい埋め立て処分場みたいだ。
潰れた車も、布団も洋服も、柱も家具もトタンも、いっしょくただった。
この中に、あのおじいちゃんちの手紙も積み上げられるんだろう。
物には、生活や仕事などの諸々の用途で質感や量感というか、存在の仕方というか、そういうものが
あると思うのだが、それらがほんとうに何もかも、いっしょくただった。
そういうものを総じて、わたしたちは「がれき」と呼んでいるんだな。
もうタイムリミットだったので、あと少し、と宮古湾沿いの鍬ヶ崎方面へ歩いた。
駅から離れるほど被害はひどくなっているのだが、ここから先はもっと大変そうだと分かる。
潮の腐敗臭が強くなって、自衛隊車両が鍬ヶ崎の方から何台も出てくる。
1階のないアパート、崩れているが解体出来ていない家。
このあたりの山と海に挟まれた細い海岸沿いの土地までは、まだ整備の手も足りていない
感じだった。
道路脇は汚泥の積もったいろんなものがまだ散乱していて、大股でまたいで歩く。
鍬ヶ崎の魚市場に、死にかけた猫がいた。
身体が小さくて、鼻もツンと小さくて可愛い、淡いクリーム色のシマ猫。
うつぶせにへたり込んだまま動けなかった。
目も鼻も口すらも、ガビガビで塞がっている。病気なんだと思う。
猫にも感染症が広がっているのかもしれない。
なでてやると鳴くのだけれど、塞がった口からは声にならなくて、痩せた背中が大きく膨らんで
身体の中で音がする。
息が荒くて、お腹がひこひこ忙しく動いている。
きっともうすぐ死んでしまう。
日が傾いて来ている。
夕方前に見周りに行くのか、警察隊が歩いて通り過ぎて行った。
電燈のない夜が来るんだ。
病気になった猫はもうすぐ死んでしまう。
能力のないわたしは、なんにも出来ない。
ただの からだひとつ では、なんにも出来ない。
バスで宮古駅に着いた時、変な言い方だが、拍子抜けした。
がれきの地平が海まで続いているんじゃないかと、ビクビクしていたのだ。
同時に、自分に何かできることもあるんじゃないかと、期待していたのだ。
でも、わたしはぼーっと立っているただの人で、
重機で粛々と家は壊され、人はそこからいなくなり、夜が近づいて、猫は病気で死ぬ。
ただここで見渡していても、
溺れている人も、怪我して傷口から血が出ている人も、もうここにはいないし、
声を上げて泣いている人もいないのだ。
ただの からだひとつ で見渡しても、何もできない。
猫が死んでしまうんだ、と子供の時のように思って、涙が出た。
そして、猫をおいてその場を離れていく自分に涙が出た。
子供のときに思ったような無力感だ。
すごすごとバスに乗って、盛岡に帰った。
わたしは、何が起きているのか知りたいと思って宮古に行った。
大変な事が起きている、その大変な事とは何かが知りたかった。
ここにあったのは、ないということ。
亡くなった人、壊れた住まい、失った仕事。
突然断ち切られた、「今までどおり」。
失ったことで起きていることは、失わないように抵抗している現場よりも見えづらい。
流されそうな人の手を必死で掴むというアクションはできる。実際に引き上げられるかどうかの
難しさはひとまず置いて。
だが、大事な誰かを流されて失ったひとに、ただ手を差し伸べるのではまったく意味をなさないのだ。
今さら何を言っているのか、と思われそうだが、そういうシンプルな事実を実感した。
この場が、そういう段階に移っている、という実感。
ボランティアが各地から集まっても、その力が宙に浮く。
物資提供をしようとしたら、被災地のニーズを引き出せない。
窓口がない。
「被害状況」の報道が縮小していくと関心が薄れる。
その難しさの、当然すぎる理由に触れたような、触れないような…
書いたら少し分かったけれど、やっぱり整理はつかなくて、つらつらつらつら。うつらうつら。
眠い。
自分が被災地に何かしたい、と思った理由も実は分からない。
これは恐らく、美しい善意ではないという感触はあるが、それが何かの役に立つならそれでも
よかろうという感触もある。
社会的生き物である自分を確認しているのは確か。
でも猫のことを思い出したらまた泣いてしまった。
そんなものなのだ。
ただ、この子供じみた実感がカギのような気がしている。
(つづき)
避難所には、毎日自衛隊から給食が届けられ、自宅で調理のままならない近所の方も含め、
それをたよりに生活している。
この日も、そうめんと汁ものが届けられていた。
震災の日、この少し下にある小学校の校庭まで水が上がり、高台と思って学校に避難していた
人たちが、追われるようにして避難所になっている施設にに集まったのだそうだ。
隣には障害者福祉施設も付いていて、施設長さんは、そちらと合わせて避難所として解放。
幸い畳敷きだったので、寝泊まりができた。
がれきに埋まった道路は自衛隊が復旧してくれるまで使えず、所長さんは何時間も歩いて山越えをして
本部へ報告、しばらくは山越えで避難所にに通ったという。
電気もなく、給水車が初めて来るまで、1週間。
次は暖房の燃料が尽きそうになり、石油ストーブに切り替えてしのぐ。
狭いので世帯ごとの仕切りは置けない。
今は自宅に戻った方も多いとのことだったけれど、自宅が無事という事ではないのだろうと思う。
イベントの日も、ストレスのせいか、トイレに籠って出てこなくなってしまった方がいたようだ。
職員の方は、車が流されてしまったので、通勤は途中までバスで来て所長さんに車で迎えに来て
もらわないと通えない、と話してくれた。
(岩手って超広い。)
「ラジカセも流しちゃったから…」とぽつりと言われて、わたしは何と言っていいか分からなくて
うろたえてしまった。
申し訳ない気持ち。
でも皆さん、穏やかで協力的な方ばかりだった。
こども達はイベントを覗きに来たり、わたしの友達と一緒にどこかへ行ったり。
ぱっと見たら、 なんというか、 普通だ。
この日は、自衛隊も来たし、社会福祉協議会の職員さんも様子伺いに来ていた。
今までイベントみたいなことはなかった、というお話だったが、ふたり連れの女性がなにか出来る
ことはないかと訪ねて来ていた。どこかのボランティアグループかもしれない。
このセンターの中に関して言えば、物資も今は不足していないという。
洗濯機も、自衛隊が持ってきてくれたんだそうだ。
今、ただここで見渡していても、
溺れている人も、怪我して傷口から血が出ている人も、もうここにはいないし、
声を上げて泣いている人もいないのだ。
でも、
亡くなった人、壊れた住まい、失った仕事。
突然断ち切られた、「今までどおり」。
見えなくなったものが、見えない不安になってここにいる人達にのしかかっているんじゃないだろうか
と思った。
それは遠くから来た自分が、イベントを手伝ってちょっと顔を突っ込んでみても見えないものだ。
(まだ③へつづく)
避難所には、毎日自衛隊から給食が届けられ、自宅で調理のままならない近所の方も含め、
それをたよりに生活している。
この日も、そうめんと汁ものが届けられていた。
震災の日、この少し下にある小学校の校庭まで水が上がり、高台と思って学校に避難していた
人たちが、追われるようにして避難所になっている施設にに集まったのだそうだ。
隣には障害者福祉施設も付いていて、施設長さんは、そちらと合わせて避難所として解放。
幸い畳敷きだったので、寝泊まりができた。
がれきに埋まった道路は自衛隊が復旧してくれるまで使えず、所長さんは何時間も歩いて山越えをして
本部へ報告、しばらくは山越えで避難所にに通ったという。
電気もなく、給水車が初めて来るまで、1週間。
次は暖房の燃料が尽きそうになり、石油ストーブに切り替えてしのぐ。
狭いので世帯ごとの仕切りは置けない。
今は自宅に戻った方も多いとのことだったけれど、自宅が無事という事ではないのだろうと思う。
イベントの日も、ストレスのせいか、トイレに籠って出てこなくなってしまった方がいたようだ。
職員の方は、車が流されてしまったので、通勤は途中までバスで来て所長さんに車で迎えに来て
もらわないと通えない、と話してくれた。
(岩手って超広い。)
「ラジカセも流しちゃったから…」とぽつりと言われて、わたしは何と言っていいか分からなくて
うろたえてしまった。
申し訳ない気持ち。
でも皆さん、穏やかで協力的な方ばかりだった。
こども達はイベントを覗きに来たり、わたしの友達と一緒にどこかへ行ったり。
ぱっと見たら、 なんというか、 普通だ。
この日は、自衛隊も来たし、社会福祉協議会の職員さんも様子伺いに来ていた。
今までイベントみたいなことはなかった、というお話だったが、ふたり連れの女性がなにか出来る
ことはないかと訪ねて来ていた。どこかのボランティアグループかもしれない。
このセンターの中に関して言えば、物資も今は不足していないという。
洗濯機も、自衛隊が持ってきてくれたんだそうだ。
今、ただここで見渡していても、
溺れている人も、怪我して傷口から血が出ている人も、もうここにはいないし、
声を上げて泣いている人もいないのだ。
でも、
亡くなった人、壊れた住まい、失った仕事。
突然断ち切られた、「今までどおり」。
見えなくなったものが、見えない不安になってここにいる人達にのしかかっているんじゃないだろうか
と思った。
それは遠くから来た自分が、イベントを手伝ってちょっと顔を突っ込んでみても見えないものだ。
(まだ③へつづく)
