死別当初は自分の抱える苦悩で一杯一杯で、とても他者の苦しみにまでは思いが及ばずく、いつも自分の苦しみの中で暮らしていました。

自分の心の痛みを距離をおいて静かに眺められるようになったとき、神谷さんの語られる「ひとと共に苦しみ、ひとと共に癒されたい」と、願うこころが、自然に湧いてきました。
ハンセン病患者の多くの方が「閉ざされた魂が、悲しみの経験により開かれた魂に変わる」経験(※)をしていますが、その不思議な変容が私にも起きたのです。

自死で大事な子を亡くした人生は、決して望んだ人生ではないのですが、生きにくさの中で耐え忍ぶだけではなく、避けず、蓋をせず、この事実をありのままに抱えて、生きようと思うようになったのです。

でも、蓋をして生きていきたいと思う人の気持ちも大事にしたいと思います。
それもまた、その人の生き方、人生なのですから。
正しい、正しくないなど誰にも決められないでしょう。

ただ、自死した人の人生も遺された人の人生も、どの人の人生も尊く、卑屈になることはないのでは?とは思います。
※「生きがいについて」神谷著 194頁