生駒里奈。
乃木坂と言えばこの人という印象を持たれる一般の方は多いんじゃないかな?


この乃木坂46というグループ。
ここまで人気グループになってきたのは
生駒さんなくてはなれなかったんだと俺は思います。

僕の考えを伝える前にひとまず生駒さんの経歴を辿っていきましょう。
生駒さんは1995年12月28日に秋田県で生まれました。
幼少期にはジャズダンスを習い始めました。
中学校時代はその先輩に影響されて吹奏楽部で様々なパーカッションを務め、中学三年生の時に見事銀賞受賞を経験しました。

そのまま高校生となって過ごしていくんですが、昔のように部活動に取り組むこともなく家で過ごすことが多くなって言ったそうです。
それを見ていたお父さんが頑張ることを促すために乃木坂46のオーディションを勧めました。
生駒さん自身、高校を抜け出したいという思いからオーディションに行くことになりました。

そして、2011年8月21日。
乃木坂46オーディションに生駒さんは合格しました。
また、2012年2月22日。
1stシングル「ぐるぐるカーテン」が発売され、そのセンターに生駒さんが抜擢されました。
それから生駒さんはいくつもの苦悩を抱えながらも
5thシングル「君の名は希望」までセンターを務めあげました。
まだ当時高校一年生だった生駒さんにとってセンターとはプレッシャーが凄かったんだと思いますが、
それに打ち勝ち、今では乃木坂の象徴とも言うべき存在までになりました。

生駒さんは正直メンタルが強くないと思いました。
むしろ弱い方だという印象を受けました。
「悲しみの忘れ方」乃木坂46出演のドキュメンタリー映画を観た時です。
東京が怖いと感じていたらしく、食事もまともに取れなかったと言います。

生駒さんはプレッシャーに弱く、人前に出るというタイプでもなかったように思えました。
でも、それが乃木坂46のカタチや印象を作るいいきっかけになったんじゃないかなとも取れます。
現在の生駒さんは当時の生駒さんを彷彿ともさせず、比較的コメントも出来る乃木坂の顔の1人です。


こんなに弱く脆い人間でも人はここまでたくましく強くなれる。

秋元康先生が生駒さんを最初のセンターに選んだのはまさにそういうことも一理あったのではないかと思います。

生駒さんはこれからも乃木坂46を引っ張ってくれる存在になってくれるでしょう。

また悲しみの忘れ方観たいなー…

ではしたっけ✋ ))



Hiroki