bene vixit, bene qui latuit.
ビスタがいよいよ完全に切れる。利用しているアプリについて問い合わせの必要があってチャットによる問い合わせというものを体験した。案件は無事に解決されて、果たして担当者は男性だったのだろうかそれとも女性だったのだろうかと考えた。丁寧で嫌な印象はない、ファミレスの味のような、性別や個性の一切を排除した文章。ひょっとしたら相手は機械だったのかも知れない。仮にチャットの相手が機械であっても人間が恋に陥ることはあるだろう。なんとも複雑な時代になってきたものだ。4月になった途端、日差しが強くなった。暑くなる前に出来るだけ日光浴をしておきたい。それにしてもウインドウズ10は使い難い。nogawan
さきほどのブログを書いた後でこんな言葉を目にした。原典 は確認していないが記録しておこうと思う。DON'T ONLY PRACTICE YOUR ART,BUT FORCE YOUR WAY INTO ITS SECRETS,FOR IT AND KNOWLEDGE CANRAISE MEN TO THE DIVINE.L.v.Beethoven
ある雨の日。食事をしていたら有名な女優さんが現れた。そもそも自身がテレビ番組で紹介していた店だったけれど、そんな都合よく芸能人が現れるはずはないし、そもそも本当に自分が利用している店をテレビで教えるものだろうかとも思っていた。まさかの出来事は起こるときには起こるのである。(余談だが、実は意外にもこんなことが多い。誰もが知っている指揮者と新幹線で乗り合わせたり、あの作曲家が山手線で目の前に座っていたり、そうあのピアニストだって今でも不思議でならない。逆に不思議に満ちているから世界は信じるに値する)女優さんと遭遇したのは初めてである。こんな日は、また不思議と、好事魔多しで、入店の際、予約にまさかの手違いがあり、あてがわれたのはたまたま空いていた末席。一番奥の離れた席に通された彼女の様子は時折チラと見るしか叶わなかったのである。とはいえもう肝心の 料理はそっちのけで、俳優さんが格好いいのは商売柄当たり前だけれど、それでもその美しさは、きっと、孤独に自分と向き合って何かを生み出そう足掻いている人間だけが身にまとう美しさなのだろう、とかそんなことばかりあれこれ考えてしまったのでした。nogawan
浅炒りなのに黒みがかった深い褐色をたたえる珈琲。憧れのような懐かしいような、それが関西の珈琲の魅力だと思っている。関東でも老舗と言われる喫茶店ではそんな色をした珈琲が出てくることがあるから、かつて珈琲のスタンダードは関西にあったのかも知れない。デパートの物産展で以前より気になっていた京都の珈琲を買ってみた。本来ならば100g単位で買えるはずなのだが、そこは大人の事情なのだろう、300gの袋入りからというのが世知辛い。さっそく淹れてみた。味がいまひとつである。なにより泡が立たない。やはり京都まで新幹線に乗っていかなければ、物産展では駄目なのか、と悲しくなったのが、挽き方 を荒くしてみたら泡がたつようになって、いい具合にはいるようになった。また袋入りの場合、開封して数日経過してからの方がよろしいようにも感じている。町衆が自宅の応接間代わりに喫茶店を利用する関西に比べてこちらは喫茶店が生活に溶け込んでいるとは言い難い。東国の田舎ともなれば尚更である。昼間行って生業はいったいなんなのかと思えるような人達がどれだけ座っているかが喫茶店の凄みあるいはその街の文化度をはかるバロメータではなかろうかと荻窪の喫茶店で感じたことがある。その意味で欧州はやっぱり侮れないと感じるのである。nogawan訂正 荻窪ではなく西荻窪でした。
夏時間がはじまった。といっても米国の話。欧州は月末からなので少し早めの夏時間。それでもこちらまでなんとなく季節が変わったという感じがするから不思議。nogawan
仮に大人の事情があったとしても貧すれば鈍すとはよく言ったもので確かに地上波で放送された「アナと雪の女王」のエンディングはエンディングロールが無視されて代わりに趣味の悪い動画が流されるという酷いものだった。局内で反対する声はあがらなかったのだろうか。命を削る思いでこの作品を作りあげた者への敬意は微塵も感じられない。水の結晶体である美しい氷の映像を2時間観た後に、作品を視聴率稼ぎの商品としか見ない貧困な感性を見せつけられたような後味の悪さといったらそれはもう半端ないのである。nogawan
内発性を伴わない試験勉強や受験勉強にはやる気が起きず、むしろ自分で作る夜食が楽しみで机に向かっていた中高生の頃。人間は年をとっても基本的な部分はそう変わらないと最近しみじみ思う。そういえば、そんなことが原因で予備校の英語の先生から「私の授業には出るな」と大教室で怒られたことをふと思い出した。でも、世の中うまくできているもので、別な英語の先生は僕の方向性に沿った授業を行なってくれたり、また別の先生の本当に何気ない一言が、その後の受験に重大な影響を与えたりもした。いい加減といえばいい加減な時代。だから先生も生徒も個性的でいられたように思う。nogawan
LaLaLandの「Another Day of Sun」中毒性があるファンキーでキュートで玩具箱をひっくり返したよう な曲。魅力の秘密は懐かしさ。かつて聴いたことがある錯覚、あるいは記憶、そんな断片がぎっしりと詰め込まれている。それでいて新しい。よくここまで詰め込んだものだと感心。どうせやるならとことんやる。気絶するくらいに甘くて食べ物かと疑うほどの色を競っているあちらのケーキに似ている。嫌いじゃない。nogawan
気分転換に何か聴こう。何にしようか。そう考えて動画サイトをクリックしていく。そうして、いつの間にか、あれもこれもとなって、気分転換という当初の目的から完全に逸れる。魔のツールでもある。若い頃にYouTubeがなかったことは悲しむべきことだろうかそれともむしろ良かったのだろうか。答えに窮する。nogawan
前のめりになっているといい仕事はできない。そう感じることがある。努めて椅子の背もたれに身をあずけ視線を外す。淹れたての珈琲でもあれば更に良いし僅かな時間でも日光浴が可能ならばもっと良い。イタリアだったらそんなの当たり前だろと笑われるかも知れない。nogawan
もうすぐビスタが使えなくなる。激安の中古品を買ってパーツを少し取り替えて悪戦苦闘中。立春前の時間が止まりそうな午後。nogawan
いきものがかりの「放牧」宣言。これまでならば活動休止と発表するところだろうか。しかし、それでは肝心のお店が閉店状態になってしまう。語彙のセンスも時代にマッチしているし、帰る場所を担保しながらメンバーの自由な活動を許容したという点で実にクレバーな人達だと感心した次第。少し言い方を変える、たったそれだけ(そこに至るまでの苦労はさぞ大変なものだと思うけれど)のことでも閉塞感に穴があいて風が流れる。今年もよろしくお願いいたします。nogawan
森見登美彦さんの小説がアニメ映画化されると知って底冷えする朝あわてて図書館までポテポテと走り本棚に無事残っていたまだ読んでいない別の小説を借りる。都心の図書館だったらこうはいかない。カウンターで返却は1月4日までですと言われて忘れていた訳でもないのに年末なのだと思った。そういえば家を出たとき遠くで焚火の匂いがした。「無益に耐えることがどれほどの生きる力を必要とすることか」『四畳半王国見聞録』。nogawan
2015年度の合唱コンクール課題曲だったセカイノオワリの「プレゼント」。「何十年か好きに生きていい特別なプレゼント」という歌詞のプレゼントという言葉に異界が生活空間の隣に存在せず西洋における天界のような垂直な世界が連想される。コンクール用のプレ演奏版を合唱指揮の大谷研二さんが 振っておられてリリング氏と同じ匂いがする。nogawan
村田沙耶香さんが対談番組で「考えていることをまとめる時間がとれないとイライラします」と話されていたことに同感する。nogawan
僕の学生生活はバッハのマタイ受難曲から始まった。それがどれだけ幸運で幸 福なことだったか。大袈裟でなくそう思う。いまリリング氏の指揮する同曲を聴いていてそのことを思う。退職の目的のひとつにそこまで立ち返るということがある。nogawan
森見登美彦氏の描く学生生活が愛おしい。こんな学生生活はまだ残っているのだろうか。例えば、窓さえも本棚にふさがれた先輩の部屋で話すうち気づかないままに深夜になってしまうと「先輩は「やぁもう夜中だ」と言いながら立ち上がり、私を連れてそばにある小さな中華料理店へ出かけた」(果実のなかの瞳)という具合。この個所だけで僕は数日間は幸せな気分で過ごすことができた。「先輩」と「私」の僅か半年の交流を描くこの愛すべき小品は、それを翌年に回想する形をとって書かれていることが何とも憎い。僅か半年とはいえ、回想にしたことで作品が作者のいう「琥珀へ封じられたような甘い色を帯びて、記憶のなかにある」色合いを帯びる。そもそも学生生活とはいったん琥珀色をした思い出の なかに閉じ込められ、その正体は、年老いて知る若さのように、卒業後何年も経て記憶のなかで知ることになる、そんなものなのかも知れない。これは大学を卒業して別の大学に長く勤務し退職したのち、ふと、おおっ大学生活とはそのようなものであったか、と思い至るわが身に重ねての感想である。回想の持つ力とでも言うべきか。nogawan
現代のサラリーマンへと続く武士の世に特別な思い入れはないのに鎌倉という街だけは何故かいつも特別で少し前までは頻繁に足を運んでいた。映画「海街ダイアリー」の撮影をされた瀧本幹也さんがホームページに掲載されている関連の写真は平凡な海や花や家並みに特別な鎌倉らしさが見事に切り取られている。nogawan
実際どれだけの米国人が大統領選挙後に本気で移住を考えているのかは分からないけれど住む土地や働き方を軽々と変えていく狩猟民族たる彼らの感覚が、土地にしばりつけられがちな保守的あるいは前例主義的な我々には羨ましく思えることがある。最近の枕頭の書「関東周辺 堤防釣り場ガイド」(成美堂出版)。素晴らしい本である。実際に釣りに行こうとは思わない。見ているのが楽しいのである。nogawan
誰もが知る2-6-2の法則だが、あるデータを整理したら、その結果もまた2-6-2となったことに少々驚いた。これは落ち着きのいい数なのだろうかと考えて、すると自然界で落ち着きがいいとはどういうことなのだろうかと気になった。この法則に関しては、以前放送された蟻と子供たちによる実験を行なったNHKの番組もなかなか興味深く、確かナマケモノとされる2割の蟻さんが実はいざというときの「遊軍」であって、きびしい自然界を生き延びるためのバッファーの役割を果たすらしい。蟻の判断基準によるアルゴリズムを人事管理に導入した方がよほど合理的なのかも知れない。nogawan