”助監督くずれ”が書く ひとり言

”助監督くずれ”が書く ひとり言

      業界から落ちた還暦過ぎのジジイが、むかし話や今思っている色々なことを、とりとめなく書き散らかしたブログです

歴史を振り返ると、日本に限らず英雄とかヒーローやヒロインの評価って、本当にあっという間に変わってしまう。

必ずしも昔の評価が良くても、後になって色々悪い部分が露呈してからその人の評価が下がった人もいる。

(昔の偉人伝に必ず登場していた野口英世氏は、そうかもしれない…)


逆に昔悪いと評価していたのは、単に世間の基準と合わなかっただけで、見方によっては先進的だったよね!とか勝手に書換えられて祭り上げられたりもする。

(田中角栄さんは、もしかしたらそうかも知れない…)


もっとややこしくなると下げて上げて、またちょっとしたらガタガタ下がるとか、その反対に上がり下がりあって今のところは評価高いけど、さてこれからどうなるのか??

等と思ってしまうのは、私だけなのだろうか?


歴史はどんどん更新されていくから、細かい事はどんどん埋もれてしまうし、本当にその人に会ってない限り 本当に人の評価なんて全く当てにならないのかもしれない。


となると人の評価というのは、そもそも今決まっていても後になって変わるから半分くらいで聞いとくのがいいかもしれない。


第一評価されるその人にも表の顔と裏の顔がある。

世間から見たその人の顔とか評価がどんなによくても、身内から見たその人はガラッと違ってたりするなんて話は、本当にどこにでも転がっている。

アイドルとか人気俳優の裏の顔とかが突然暴かれて、とたんに人気落ちたり、その後復活したりするのを見るけれど、まぁ人間だからね、多少の裏表はあるとは思うけれど…

それでも犯罪までいってしまうと、これはアウト!なんでしょうね。


そもそも昔と現代で社会的な評価というのが、どんどん変わっていってるような気がする。

世の中の流れが速くて、皆がみんな好き勝手に発信出来るから尚更なんだろうな。


こうなると後の歴史が証明してくれるなんて言葉すら、なんだか信用出来なくなってくる。

もっともっと混沌としていくんじゃないかな。


そうなんだ…結局 自分自身がきちんと沢山の情報や意見を聴いて自分なりの判断をするしかない。


誰が何と言おうと ダメなものはダメ!

時代が変わろうと、周りが何と言おうと、それはダメ!という何かを今自分は持っているのか?


そう自分に問うてみる。


つまり…そのこだわりが減っていくのを感じながら、それでも握りしめて離さない物…

今 何個残っているんだろう…


もう少し頑張ってみようかな、

そう思った今日。





昔々の話なんですが、ちょっとここに書いておきたくなったので、今回はその話を書きたいと思います。

今から50年ほど前 私は高校2年になって『映画研究同好会』という弱小のクラブに入りました。


部員も10名足らずで予算もほとんど無い弱小の同好会でしたが、皆で自主映画を作ろうという事になったのです。※当時は今のようにビデオカメラではなく8㍉フィルムで映画を撮っていました。


私自身映画を観るのは好きでしたが、映画を撮るというのは初めての経験でしたのではり、8㍉カメラを持っているMという男と一緒にお互いに出演したり照明をあてたりしながら撮影をしていったのです。

それはまるで学芸会の延長みたいな稚拙な内容と撮影方法でしたが、私は次第に自主映画の世界に魅了されてしまったのです。


自主映画の撮影現場は常にトラブル続きでした。
何回も台詞をとちってNGを出したり、他の人が写りこんでNGになる。さっきまで置いてあった物が次のカットの準備の時に誰かが動かしていていつの間にか無くなったり、前の日に撮影した時の衣装と別の日に撮影した為に衣装が違っていてつながらないという初歩的なミス。

それ以外にもアクションシーンで使用する拳銃が上手く発砲しないとか、弾が当って血が吹き出す筈の血糊が爆発しないというトラブル。

そしてなにより8ミリフィルムは今のビデオと違って、撮影したものをカメラ屋で現像してもらい、その内容を確認しないと、そのミスが解らないのです。

つまり撮影の時のカメラの絞りが違っていてもその時には判らない。

だから現像したフィルムを映写して初めて画面が真っ暗だったり、反対に明るすぎて真っ白になっている事に気づく事もありました。


こうして沢山のトラブルをようやく乗り越えて撮影が終わり、それをワンカットワンカットつないでから、 今度はアフレコ(当時8㍉フィルムは一部を除いて同録出来なかった)


そして著作権などまるで無視のBGMを付けてようやく完成する訳です。

もちろん今思えば、本当に稚拙な勢いだけで変にカッコつけた作品です。

しかしこれが自分達にとってはびっくりする位 カッコよかったり、感動したりした訳です。

※若さゆえのひどい思い込みです。


そして満を持して文化祭での上映や

小さなホールを借りての自主上映。

そこで沢山とは言えないけれど、お客様が観てくれいる姿を後ろから見ている喜びと感慨。

“ああ…あのカットあのカットの間には、沢山の失敗やら待ち時間があったはずなのに、こうして上映されるその間の出来事は全く無いものとして、流れて行くんだなぁ…”

そう思いました。


 そしてこの体験が、それからの自分の生き方を大きく変化させてしまった訳です。


でも、考えてみれば映画やドラマに限らず、そのカットとカットの間に隠されたものというは、どんなものにも潜んでいると思うのです。


映像に限らず文章の中にもあるでしょうし、ニュースだって報道される前に隠れているものがあるんです。


ヒーローやヒロインとして取り上げる為には必要でないカットは落としていく。

悪人に仕立て上げる為にコメントの取り上げ方を加減したり、編集で印象操作するのも、もはや当たり前になり、皆そろそろ気づいてきました。


カットとカットの間に隠れていたものや、隠しておきたいものがこぼれ落ちて、それをまた取り上げるの人もまた意図的につないで、皆を混乱させていく…


そもそも人間に裏表があるからこそ、こうしたことが起きるのかもしれません。


でも、それを分かった上で騙された振りをしたり、分かった上で感動することのほうが、もしかしたら生きていく上では、穏やかに幸せに暮らせるのかもしれないと、最近は思ったりも…しています。


でも隠された何かを暴くことで、何を求めるだろう? とか…


もし、流されていくことに抵抗するとしたら、何にこだわっていくのか? とか…


絶対に許せないことってなんなのか? とか


そんなことを 少しだけ還暦過ぎたジジイは考えたりするのです。


皆様は、どう思うのでしょうね


 

 

え〜、古い歌で恐縮ですがさだまさしさんの『天までとどけ』という1979年に作られた歌があります。

昭和のジジイの言う事なので 古いと思ったら読み飛ばしてください

 

🎵出会いはいつでも、偶然の風の中 きらめく君 僕の前にゆるやかに立ち止まる。

懐かしい風景に再び巡り会えた。

そんな気がする君の胸に遥かな故郷の風 🎵

 

出会いというのは、本当にそんなものなのだとしみじみ思うわけです。

それは人であっても、物であっても、ほんの少しタイミングがずれたら会えなかったりする訳です。

 

昔 このブログでまだ結婚する前にかみさん(その頃は高校の後輩)と卒業してしばらくして駅のホームでばったり出会ったことがありました。

詳しくはこちらへ

 

 

 

それに似たことで 最近印象的なことがあったので書いてみようと思いました

 

先月の1月28日の夕方 私は名古屋駅の構内に居りました。

年に一回のカミさんと二人の旅行で、名古屋から新幹線で東京に帰る為です。

普段からめったに電車に乗らない私にしては珍しく今回は新幹線を利用して名古屋に来て、そこから

レンタカーであちこちを廻るというやり方だったのですが、その2泊3日の最終日 帰りのチケットを用意する段階で、ちょっとした”事件”が起きたのです。

 

ネット予約で新幹線の指定席を予約しようとしたのに、座席が並んで取れない・・・

 

※すみません 結婚今年で40年経つのに並んで席が取れない位で ”事件” とか言うな!と怒るかもしれませんが、まぁ 弁当を食べながら帰ろうと思ってたので まぁ 困ったなぁと思った訳です。

 

結果 16:03分発を諦め その次の16:23発ののぞみで指定席を探していたのですが、それもやはり並んで座席が取れない。

 

”縦に並んでなら席取れるけど、いいかなぁ・・・”

”まぁ仕方ないね、新横浜迄ならいいか”

 

カミさんは少々ご機嫌斜めでしたが、やむなくチケットをネット予約して、改札をくぐったのです。

 

その時 ふと私は こんな嫌な予感が頭をよぎったのです。

 

”一本電車を遅らせたことで、事故に遭ったり どこかで足止め食ったりしたら嫌だなぁ・・・” 

 

心配性な性格の自分の悪い癖なのですが、昔の仕事柄 やむなく予定を変更すると その後になにか

災いごとが起きて 面倒なことになった経験があったせいか、そんな考えが浮かぶのです。

 

人生における心配事の80~90%は実際には起きないというアメリカの研究機関で発表されたそうですが、とは言え 私の頭に嫌な妄想がよぎってしまったんです。

 

とは言え 改札を通り抜けホームに上がり 指定の番線まで着くと まだ10分以上時間がありました。

このホームには有名なきしめんのお店があるんだよな、なんてカミさんと話をしていた時 そのホームに

電車が通過する旨のアナウンスがありました。

 

回送列車だろうと そう思ってきしめんのお店にもう一度目をやった時、視線の端に何か黄色いものが

入り込んできたのです

 

え、嘘! 周りの乗客を見ると 皆 スマホを列車に向けました

 

 そう ドクターイエローです

 

 

ドクターイエロー(新幹線電気軌道総合試験車)は、東海道・山陽新幹線の線路や架線の状態を高速走行しながら検測する、黄色い7両編成の「新幹線のお医者さん」です。10日に1回程度、東京~博多間を往復し、約70項目に及ぶ点検で安全を支えています。乗客は乗車できず、見ると「幸せになれる」と言われる希少な車両ですが、JR東海の車両(T4編成)は2025年1月に引退しました

そんな訳で 今残っているドクターイエローはJR西日本の一編成のみ。

その車両も来年には引退する見込みだそうです。

 

だからこそ 出会える確率 1%程度と言われているのだそうです。

 

つまりもし 前の新幹線に乗っていたら 名古屋駅で会う事はなかった訳ですし、ホームに上がらずに

改札をくぐった後 お弁当を買うのに時間がもう少しかかっていたら会えなかった。

名古屋駅に一時停車したのはほんの一分程度だったわけですから・・・

 

そして最後に 私たちはこのドクターイエローを見るのが二回目だったのです。

実は これは偶然ではないかもしれませんがね・・・

名古屋に出かけたら食べたいものはいっぱいあるけど・・・観光場所どうする???って悩んだ末に

二人の意見が一致したのが リニア鉄道館だったのです。

 

だから その日は朝10時から リニア鉄道館に行って前の引退したドクターイエローにも会ってました 

 

でもね、筋金入りの鉄道オタクでもない自分たちにこんな偶然があるなんて ちょっと申し訳ない気もする訳ですけど・・・ 

その後 還暦過ぎたジジイは思った訳です

 

人生って その出会いに気づけるかどうか? ってのが大事なんじゃないかなぁ・・・って

 

たまたまドクターイエローを知っているからちょっと興奮したりラッキーだと思っただけなのかもしれない。 知らない人にとっては ただの黄色い新幹線なんですから

 

もしかしたら 今までもそういう出会いを見逃しているかもしれない そんな気もするんです

出会いはいつでも 偶然の風の中   だとしたら 日々の暮らし 一つ一つ大切にしないと

いけないんじゃないかな?

 歳を重ねればそれだけなんでも鈍感になって いつもそれが当たり前になったらいけないと考えた今日この頃なのでした