2024年も終わる。
2025年が始まる。
さようなら2024年。
はじめまして2025年。
まったく思い入れはないけれど、一応365日も一緒に過ごしたわけだし、
大きく何事が起きるわけでもなく、1日1日を起きて寝て送れたわけで。
そういう意味では「お世話になりました」だろうね。
2024年側は俺の世話も面倒も見た覚えがないだろうし、実際に何もしてもらってないし、
こんなどうしようもない男なんざ気にも留めたくないはずだし。
そういう意味もこういう意味でも「お前、誰だっけ」だろうね。
そうさ。そうさ。月日なんてその繰り返しさ。
気にしているのは、その概念を勝手に作っている人間だけだ。
そもそも月日の方から見たら絶え間なく流れているだけ。
一瞬一瞬に意味も希望も価値も見出す必要なんてない。
ずっとずっと何億年も流れているだけ。
その何億年っていうのも人間が勝手に作った概念でしかない。
月日には「いま」しかない。
過去も未来も大過去も超未来もありゃしない。
いつの間にか始まって、自分の意思なんて持たなくて、
持たないというのも「持つ」「持たない」なんてなくて、
ただただ「いま」だけ。「いま」ここにあるだけ。
そんな風に考えると2024年とか2025年とか、
春夏秋冬とか寒暖とか、本当は何の価値もないもので。
そんなものに心を使うのは無駄なことで。
何が「さようなら」「こんにちは」「大晦日」「正月」だ。
ここにあるのは「いま」だけだ。
無理に「いま」を切り取らなきゃ何の意味もないんだ。
だけど残念ながら、俺は人間だ。社会の中で生きる人間だ。
そういう意味のないものに意味を見出して生きていかねばならぬ。
そんで物事の本質的には無価値で無意味なものなんだけど、
人間社会で生きる以上はそういったことを意識していかなきゃならなくて。
笑顔で言うのさ。
礼をしながら言うのさ。
「今年もお世話になりました」「良いお年をお迎えください」
「あけましておめでとうございます」「今年もよろしくお願いします」
何の意味もないことにわざわざ意味を付けてさ。
大半の日本人は慣用的に使っているだけの言葉なのにさ。
心を込めてるふりして言わざるを得ないのさ。
だけど。本当は。
1日1日、一瞬一瞬を大切に噛み締めながら生きていかなきゃならないんだ。
今を大切に、過去と現在と未来の自分を誇りながら。
なんて言わねーぞ。
1日1日を、一瞬一瞬を大切に生きたところで、
俺には何の力もないし、この迷走している社会を変えられない。
クソムカつく奴が五万といて、最高潮に腹立つ事柄も五万とあって、
絶対に今後は俺に関わるなって考え方も五万とあって。
それらを否定しながらも、それらと関わって行かざるを得なくて。
毎日毎日が言葉にできないような負の感情の乱打さ。
大好きな人。大切なこと。もっと深く知りたいもの。
ずっとずっと近くにあって欲しい考え方・社会もあるさ。
もちろんあるさ。それらだけが欲しいのさ。
だけど残念ながらマイナスの方が心を占拠するのさ。
プラスを上から埋没させようとすんのさ。来んな来んな。
例えば別れた恋人なんて良いところばかりをピックアップして
あの頃は楽しかったなって思いがちだけど、
実際には苛立つことや納得できないことがいっぱいあって、
だけど振り返ればプラスの思い出がふわふわ浮いているもんさ。
その逆。その逆で。
振り返ろうが今だろうがマイナスの馬鹿どもが心を覆おうとすんのさ。
こんなところにそんなこと書いていても
マイナスの元凶たちは見もしないだろうし、
アホな高笑いを繰り返してるんだろうな。
そういう奴ほど社会を知ってるふりして、自分に価値があると信じて、
頭を使ったふりして実は全然使えてなくて、
文章の文面しか読まず、文の雰囲気や気持ちは掴み取れないんだし。
そんなわけで。
2024年は終わる。
2025年が始まる。
根拠のない夢は描けない。手が届かない理想には触らない。
いつかまたそういう日に逢えたら良いなとは思うけど。
少なくとも今はそんな溢れる幸せを信じられやしない。
それでも生きる。俺は生きる。
まだまだ死んでられない理由がある。
死んでも守るべきものがある。
絶対に大切にしたいものがある。
さようなら2024年。
あまり張り切んなよ2025年。
2023年によろしくな2024年。
それとなく過ごせば良いんだぜ2025年。