自然と共存?うるせー!ばーか! | のがっち Official Weblog

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自然と共存しよう?
 
動物と共存しなければならない?
 
アホか、何を抜かしてやがる。
 
共存って言葉には既に人間が譲歩する的な、
人間の方が上で自然や動物を下に見てる的な、
そんな驕り高ぶったニュアンスがある。
 
 
自然の中に人間がいる。
 
動物の中に人間がいる。
 
人間は自分たちの利益ばかり求めて
自然や動物の生きる権利を奪い続けた馬鹿者だ。
 
自然や動物の世界を元に戻さねばならない。
そのために人間は奪ったものを返さねばならない。
 
 
それなのに共存だって。
 
自分たちありきで、自然や動物も「そこにいていいよ」的な、
自分たちは「絶対に譲らんぞ」的な、
既得権益をただひたすらに守ろうとする愚か者。
 
 
それが人間だ。
 
それが人間だ。
 
 
俺も人間だ。
 
君も人間だ。
 
あなたも人間だ。
 
私も人間だ。
 
 
みんな馬鹿者だ。みんな愚か者だ。
 
どうしようもない犯罪者だ。
 
 
人間は知恵がある生物だからいい?
 
人間は他の何より知能が発達してる?
 
それがそもそも間違いだ。
 
それはただの思い込みだ。
 
 
地球ができて何十億年とかなのに、
我々が正しく把握できているのは
せいぜい直近の2000年とか。
 
その前に何があったよ?
 
恐竜がいた?氷河期?地層がどうこう?
 
それ自体がもし仕組まれていたものだとしたら?
人間にそう思い込ませるために、
他の生物がそれを仕組んでいたら?
 
ほら、もう何もわからない。
 
何があったのかなんて推察しかできないから、
何らかの証拠から目一杯の発掘や研究で考えてはみるけど
その証拠が仕組まれたものだったらもう何もわからんのだ。
 
 
動物も自然も、人間以外の生物は言葉を話さない。
 
それ本当なの?人間が理解できていないだけでしょ。
 
 
直近2000年以前、他の動植物も言葉を話していたかも知れない。
 
今のAIとかデジタル技術なんて比にならない技術を持っていたかも知れない。
 
そしてその技術が進歩に進歩を重ねた結果、
言葉なんてのは不確実で頼りないものだから
言葉を捨ててテレパシーを使い始めたかも知れない。
 
ただ、テレパシーも100%確かではない。
 
そこで人間を誕生させて文明がどう進化していくか、
テレパシーを超えた何かがあるのかどうかを
ずっと観察し続けているかも知れない。
 
その辺にいる犬も猫も草木も、
ありとあらゆるものがテレパシーで会話をしていて
「下等生物がどう進化していくか」と人間を見ているのかも知れない。
 
 
そんなことには全く気付かず、
自分たちが最も優れた生命体だと思い込んで
他の生命体を支配している気になっている人間。
 
強者が弱者を守るように、他の生命体を守ろうと
「共存しなくてはならない」とホザいている人間。
 
それを「こいつら馬鹿か?」と見下している他の生命体。
動物も草木も、あらゆる生命体が人間の言動をほくそ笑んで見ている。
 
 
確かなものは何もない。確かなことは何処にもない。
 
ただ自分が、自分たちが信じたいと思うことだけ信じて、
他の可能性は無視して否定して潰してきただけ。
 
 
自然と共存しよう?動物を絶滅から救おう?
ばーか。ばーか。ばーか。
 
非力で知恵が足りない人間ごときに守られるほど他の生命体はヤワじゃない。
他の生命体は人間の何百歩、何千歩、何万歩先の世界を見ている。
 
かも知れない。
そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。
 
 
ただ、ありとあらゆる可能性を否定せず、
自分たちが潰して見失ってきた可能性を認めて、
そこからどうすべきか考えなくちゃ、独り善がりの思い込みで自己満足だ。
 
 
他の生命体のことだけじゃない。何事もそう。
 
自分もそう。家族もそう。恋人も友達もそう。仕事もそう。趣味もそう。
 
絶対なんてないぜ。絶対なんてあってたまるか。
 
僕と君。君とあなた。あなたと誰か。誰かとそなた。そなたと私。
 
過去と違う過去。今と違う今。未来と違う未来。
 
いろんな要素が積み重なって。いろんな要素を積み重ねて。いろんな可能性を膨らませて。
 
 
そうやって辿ってきた現在がありつつ、
そうやって辿り着かなかった現在も探りつつ、
こうやって過ごしていく未来を認めつつ、
こうやって過ごさない未来をイメージできたら。
 
そしたら。
 
何が自分にとっていちばん大切か。
 
何が自分たちにとって正しい未来なのか。
 
 
そんなことがわかる気がする。
 
そんなことに辿り着ける今を過ごせる気がする。