“ふたりをめぐり、暗闇に、かぐろき波は砕けたり。
乳光色と金色の遠方はるか、大西洋に、
海のあなたの国々は、神秘の光を放ちつつ。
凍てつける大気をこめて海藻の香は漂ひぬ。/
断崖にとどろきわたる千載の古りし谺や。
轡なき渦潮吼ゆるおおうみの波のうねりは
青銅の巌に砕け、重く、重く、泡立ちぬ。
砂丘の上に墓地ありて、十字架あまた輝けり。/“
(「残酷物語」(リラダン、齋藤磯雄氏訳;筑摩叢書))
“それは半透明の月かげに照らされて、鬱然と見えた。
頂きの巨きな金の十字架があかあかと照らし出され、
これに侍するように、航空標識の赤い燈が、点々と屋上
と空とを劃して明滅しているのである。/“
(「花ざかりの森・憂国」(三島由紀夫氏;新潮文庫))
“わが胸の深遠に
黒衣聖母のあり
心して赴け 道ゆく旅人よ/
風ある日
渚を旅けば
顔しかめる水面にも
爾が小胸の秘奥なる
かの黒衣の善き母を視む/
もし、照る日のもとをあゆみなば
湿気ある処女林の扉近く
一位の樹の繁みぶかくに
爾が輝ける御母を
垣間見ることもあるべし・・・/“
(「日夏耿之介詩集」(新潮文庫))
日夏先生・齋藤先生・三島先生。文体の系譜。
氏の故郷・飯田で生まれた。
。。。
6 この子と二人
昔別れたとと様は
丸い大きな青空のもと
どこぞの街をさ迷ってるじゃろか
何処の草むら酔ってるじゃろか/
遠く離れた人里恋し
麓の夕は直ぐ暮れる
山の頂きで栗採って食べよか
里に咲いてる菊の根摘もか/
日が暮れ夜が明け明日になったなら
この子と二人
あの岡崎様を越えて行こう/
今日じゃ明日じゃと
この子のてて親探し旅続け
今日も街中三ツ辻の脇
座り惚けて待ち惚けて/
あれお侍さんやこれ商人様かえ
遠目にゃとと様に見えれども
近く寄ってお姿拝すれば
赤の他人許りじゃありませぬか/
女子供の道連れには
山の空っ風寒かろうに
とと様求めてさ迷う二人
瘡蓋だらけの犬さえ避けて/
今日もこの子と二人して
街の三ツ辻座り惚け
冬のひと日が暮れていく/
6 雀蛾の立ち惑い飛ぶ高窓の遠き信濃に我帰らばや
。。。
小牧・岡崎に母は若い頃いた。高窓は母の実家高遠。
「我帰らばや」、犀星の詩の連想は容易。
「遠き都」「ひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむ」。
実家まで電車で30分ほど。帰る度、母と駅の名を連唱。
車窓から遠い街灯りが。
三ツ辻は実家の田の畦道。
コスモス街道。
三島氏が祖母、三好氏は母。
“時はたそがれ
母よ私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
りんりんと私乳母車を押せ/“
結局、引用で終わる。
グレゴリアンを聴きつつ。
写真は東京。年末応用数理学会で。
この小文が少しでも皆様の糧となれば嬉しく思います。
主のお恵みが皆様と皆様のご家族に豊かに御座いますよう、
お祈り申し上げつつ。主への賛美と感謝とともに。
2012.1.2.
乗倉 寿明 記す