ばあ3月4日急逝 | 野福峠山のルーム

ばあ3月4日急逝

大往生でした、この夏は新盆です、

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平成20年3月6日葬儀、親族挨拶文


一言御礼を申し上げます
母が長生きしましたので、少し長いです、スミマセン


本日はお忙しい中を、わざわざ母の葬儀に参列して頂き、誠にありがとうござい
ました、お陰をもちまして、滞りなく終了することが出来ました

母、生前中は、地元の皆様を始め、何かと温かいご厚誼、また励ましを頂きましたこと、
本日は又、霊前にお供え物、ご香典などを賜り、誠にありがとうございました、厚く御礼申し上げます


母は木下家の長女として生まれ、昭和の初め家族みんな船でブラジル移民として、
バストス移住地へ行き、綿畑やコーヒー園で働いていましたが、
父と結婚するために、父母妹弟らを残し単身、地球を一周して帰って来たと聞い
ております

長い間の大洲での貧乏な社宅生活、共稼ぎで私ら子供4人を育て、退職、、、田舎に帰り、、、

その後も再び、日本・ブラジル交流団の一員として、もう一度、今度は飛行機でブラジルに行き、
何十年ぶりかで妹・弟らと再会もしました
愛媛県や明浜町のブラジル関係の皆様方にも、何かとお世話になって来ました、
ありがとうございました


さて、ここ数年は、母のボケの進行に伴い、私もよめも、母に振り回されながら、
介護の戦いの日々でもありました、

一昨年の肺炎で入院の折には医者にも見放されかけ、もうダメかと思いましたが、
生命力強く、生き延びて来ました
なお、この間、地元の診療所をはじめ、あけはま荘などデイサービス、ショート
ステイと介護関係の皆様方には、長年、大変お世話になりました
頭は惚けても足腰丈夫でウロウロする年寄りを、本当に親切に、根気よく手厚く、
介護に支えられて、ここまで来ることが出来ました、本当にありがとうございました、厚く御礼申し上げます


それにしても、この度は、実にあっけないものでした、
3月4日、ごく普通の生活、茶の間で三時のおやつ、大好きだったコーヒー飲んで、
まんじゅう二つ食べ、
私とよめさんの目の前で眠るが如く、数えの94歳、呼んだ救急車
も間に合わず、急性心不全で、亡くなってしまいました、
今でも信じられない気持ちです

米寿、卆寿と過ぎて、頭の衰えとは異なり、身体は悪い所は殆ど無く、
ひょっとすると100位までいくのかと思ったりしていましたが、あっけなくコ
ロッと逝ってしまいました


悲しみの涙と言うより、中居・木下家で、今迄一番の長生きでしたし、大往生と
言うべく、ある意味、御祝いです

三人の毎日の生活が二人になり、淋しくなります、
私達としても、歩いたり走ったり、健康に留意して、母の生きたこの年に負けな
いよう、元気で長生きしていきたいと考えています


ご参列の皆様方、今後とも従前と変わらぬお付き合いの程をよろしくお願い申し上げまして、
挨拶とさせて頂きます、ありがとうございました