僕は昔から書くことが嫌いではあるのに書いてきた。小学校5年の終わりごろから朝日新聞に当時連載されていた「化石は生きていた」という記事をガリ版で複製してクラスで配ったりしていた。現在でも、ソーシャル・ダーヴィニスム的な変容重視の思考法に対する根源重視の態度は変わっていない。中学の2年ごろから手紙を毎日のように書くようになっていた。書く相手は教師であったり転校していった元の同級生だった。

高校の一年目は学校に行かずにアルバイトをしたり、六本木界隈にあった喫茶店で本を読んでいた。千田是也と花田清輝が俳優座裏の喫茶店にいたのを2回見た。

しかし1967年の高校2年の時にはガリ版切りとアジびら配りが日常になった。簡便な印刷機を高校3年のとき買い、仲間無しでもアジびらを切るという行動が可能になった。これは二年間の「浪人・会社員」時代を挟んで大学時代も続けた。大学の時のガリ版を切った鉄筆が現在でも手元にある。

立教大学法学部自主講座をやっていたので、その宣伝ビラや、反旗派や中核が学内に入ってきた際にも無党派の立場からアジびらを切った。ある意味、ブログの開始をしたわけだが、個人ブログの感じではなかった。

最近の日本の状況、特に岸田という人間の言動は、財界主導の動機に基づいており、民主政治そのものからの失墜を意味するもので、ある意味ではメリアム的な「無法者」以下のチンピラのものであるが、その傾向に体制全てが傾斜している。それを支えているのは小選挙区制と組織票で、いわば「国民」の自分自身の立脚点の錯視状況がある。

そこでブログを改めてこれから開始するのだが、日本語をメキシコから書くので日常感覚がいくぶんずれているかもしれない。それでも、各方面の市民集団が「組織的迷妄」をかこっている状況は見え透いている。普遍妥当に向かう錯誤を個人に強制する傾向が日本の場合、共有されてしまっている。ある種の団体では大学や学術組織の人員だけの発言とイニシアティブが横行している。

これらの状況を統覚的に裁断するのが、このブログのトーンでもある。メキシコやラテンアメリカの状況については、国際政治の中で、日本語で書く以上、それ自身が統覚的性格を持たらざるを得ない。